たこぶねの残せし貝の麗しく男ら悲しく空蝉に懸く
『いつかたこぶねになる日』(小津夜景著)を読んで。
漢詩の本は何冊か読んだがこんな本は初めて、もちろんいい意味で。
漢詩というと、伝統的に訓読を前提として読み味わってきた。作る人は、面倒な平仄のルールなどを覚えて作らねばならない。
明治期ならおおぜいの日本人が漢詩を作っていたのだろうが、今日では作る人は少ないだろう。短歌や俳句などに比べると、はっきり言ってマイナーな文芸である。
その漢詩を俳人である著者が、他の詩歌と分け隔てなく味わい、自作の訳詩を添えて解説したのが本書。
題名にある「たこぶね」は、きれいな貝殻を作るタコのことで、メスだけが貝を作り、やがてその貝を捨て去るという。
それを女性の自由な生き方の象徴ととらえたのが、アン・モロウ・リンドバーグだ。彼女の著作『海からの贈物』の1章に「たこぶね」がある。
著者は南仏に暮らしているそうだが、まさに「たこぶね」的人生を実践する人と言っていいだろう。
著者が、蘇軾の「春夜」につけた訳詩がすばらしい。
はるのよる
はるのよの ひとときは
かけねなき ゆめごこち
春宵一刻値千金
きよらかに かおるはな
ほんのりと かげるつき
花有清香月有陰
うたげなす たかどのの
ほそぼそと ねはとどき
歌管楼台声細細
なかにわの ぶらんこに
しんしんと よはふける
鞦韆院落夜沈沈
(『いつかたこぶねになる日』(小津夜景)より引用)