Thursday, September 22

『あくてえ』


ばばあとかじじいとかいう悪態は天に唾吐くように吐こうぜ



『あくてえ』(山下紘加)を読んで。

文学的な創作だとは分かっているが、どうしても現実に引き寄せて考えたくなる作品。

こんな身勝手な老婆(ゆめは心の中ではばばあと呼んでいる)もきいちゃん(ゆめの母親)のような人のいい女性も現実にはあまりいないだろうと思う。

しかし案外きいちゃんのように困った事態を後先のことも考えずに引き受けてしまう人はいるのではないか。

地獄への道は善意が敷き詰められているというが、きいちゃんのような善意の人がこの世の地獄も作り出しているのかもしれない。

きいちゃんが出戻ってきた老婆(彼女にとっては元義母でしかないのだが、老婆が勝手に娘だと主張している)を知らないと拒絶すれば、ゆめも母と娘の穏やかな暮らしを送れたはず。

小説の最後では、甲斐性のない、すぐに面倒から逃げ出す父親(離婚して別の家庭を持っている)は借金を抱えて老婆(本当は自分が面倒を見なければいけない母親)の生活費も払えなくなっている。

懸命に介護をしてきたきいちゃんも過労で寝込んでしまった。

このわがまま放題に暮らしてきた老婆をいったい誰が面倒を見るというのだろうか。

ゆめしかいないのではないか。20歳になったばかりで、やっと派遣社員から正社員になれた彼女のささやかな幸福はどうなってしまうのか。

この先この老婆が何年生きるか分からないが、百歳(現在90歳)ぐらい平気で突破しそうな勢い。

老婆にとって孫の悪態などなんてことない。談話の一種ぐらいとでも思っているのだろう。

何だかんだ言ってきいちゃんとゆめを手球に取ってうまく世話をさせているとしか思えない。

読めば読むほどゆめと一緒に老婆に悪態をつきたくなってくる。

ふつうの小説だと、この老婆が急にぽっくり逝って、最後は悲喜交交の大団円となるのだが、作者はそんな微温的な「小説的結末」を認めたくなかったのだろう。

(でも芥川賞は取れたかもしれないね)