Friday, December 30

ビワの花


虫たちには温泉みたいな所かも蜂も恍惚枇杷の花園


ビワの花がひっそりと咲いていた。花が少ない季節。その蜜を求めて虫たちが入り浸っている。

あるいは虫の余生?

Monday, November 28

スイセンの花


水仙がひっそり咲き出す小庭園来る人紅葉に目を奪われて

In a small garden 
   where daffodils quietly bloom 
      visitors are captivated 
         by the autumn leaves

小さな庭園にひっそりとスイセンの花が咲きだしていた。もうそんな季節なんだと思いながら膝を折って覗き込んだ。

庭園を訪れる人たちは顔を上げて見事な紅葉を見ている人ばかりだったが、このスイセンに気づいた人はいたのだろうか。

Sunday, November 27

イロハモミジ紅葉


冬の日に耀う斑のもみじ葉は最期にそれぞれ個性を尽くす



イロハモミジが様々な斑模様に紅葉していた。

葉緑素が消えて、後に残ったカロチノイド(黄色)とアントシアニン(赤)の分布によって色合いが決まってくるようだ。

花になれなかった葉たちの最期の花とみることもできる。



Sunday, November 20

アジサイの帰り花


紫陽花もやがて落葉する季節忘れたように咲く帰り花


アジサイはまだ緑の葉を保っているが、もうそろそろ落葉の時期。

見ると花(装飾花も)をつけているものがあった。他にはなさそうだが、これも帰り花なのだろう。

Monday, November 14

ヤツデの花


水田の跡に生まれたこの団地老いたる広場に花咲くヤツデ


かつて川が流れていた暗渠。そのまわりは水田だったが、高度成長期に団地がとっても代わった。

その団地も年老いた感じになっている。子どもの姿もない広場で見たヤツデの花。

Sunday, November 13

ツワブキの花


暗渠道コンクリートの蓋のそば岩場大好きツワブキの花


コンクリートの蓋がかけられた暗渠道。道沿いの家の庭先にツワブキの花が咲いていた。

もともとは海岸の岩場の花。ちょっと似た環境ではないかな。

Wednesday, November 9

ツタ紅葉


生か死かシュレディンガーの箱にいる夢見心地で蔦紅葉見る


生き物は体の中に生と死をあわせ持って生きているように思う。

シュレディンガーの箱のように「ふた」を開けた途端に生死が決まる。

その「ふた」は急に現れてくる。

真っ赤に紅葉したキヅタ。それは死の「ふた」を開けたものの姿だ。

Tuesday, November 8

ミゾソバの花


ひとときの河原の水に癒やされて立ち去る脇にミゾソバの花


河原で清流にしばらく見惚れていた。時間がないので立ち上がって土手に戻ろうとしたときに足元に見つけた花。

久しぶりの花。何十年ぶりだろうか。



Sunday, November 6

クチナシの実


紅葉は葉っぱの特権ではないとクチナシの実も色づいている


いつも行く緑地。クチナシの木になぜか一つだけ実がついている。

前回見たときはまだ青かったのだが。今日は色づいていた。

実だから紅実?

Saturday, November 5

カリンの実


カリンの実落ちてそのまま朽ちている子どもら遊ぶ公園の隅



児童公園。子どもたちが遊んでいる。

公園の隅のりっぱなカリンの木かあった。落ちている大きな実に興味を持つ子はいないようだ。

Tuesday, November 1

ポプラの葉


ポプラの葉たちが激しくはためいて小さな木霊が騒いでるみたい


公園のポプラの木。無風だと思っていたが上の方は風があるようだ。

中国語では「風響樹」というそうだが、にぎやかな葉たち。

Sunday, October 30

落葉の色


葉の一生アントシアニン仕方ないクロロフィルの輪最期の思い


コブシの落葉であろうか。いろんな色素を発色させている。

なんだか葉の気分を表しているような。

Saturday, October 29

ソバの花


ご近所に昨年見つけたソバの花今年も地味に咲いててよろし


昨年見つけたソバの花。家の前に雑多に置かれている園芸植物に混じって咲いていた。

地味だがよく見ると清楚な花。アリが1匹這い回っていたが…。

Wednesday, October 26

コムラサキの実


コムラサキ玉の実もまた朽ちていく小春日和の終わる頃には


コムラサキ、あるいはシロミムラサキなどと呼ぶらしい。

先日小春日のときに見たときには実たちは明るく輝いて見えたが、季節が進む今日は朽ちていく実も目立つ。


Tuesday, October 25

ソヨゴの実


葉は欠けてソヨゴの実もまた朽ちていく鳥さんどこかへ連れてってよと


ソヨゴの実。葉は端から朽ち始めている。

鳥が啄んでくれるのをひたすら待っているのだろうか。

Friday, October 21

クヌギの堅果


どんぐりの散らばる櫟の樹下に来て堅果緑の頃思い出す


よく訪れる緑地公園。クヌギの樹の下にはたくさんのどんぐりが落ちていた。

たしか暑い頃に見た堅果は初々しい緑色だったはず。

目を離すとあっという間に季節は進む。

Wednesday, October 19

『心はこうして創られる』


唯脳が即興的に創り出す物語それが心の正体?


『心はこうして創られる』(ニック・チェイター)を読んで。

「マインド・イズ・フラット」。つまり、私たちの心は深みのある実体ではなく、心は脳による即興的な創作だという。

脳は私たちを欺いて、これが現実だという実感を与え続けている。

私たちは、この脳の働きのお陰で一貫したリアリティの中で生きることができている。


ずいぶん前のことだが、手の感覚を失ったことがあった。

手の触覚がないので、たとえばカバンの中のものを手だけで探せない状態だった。

困ったのはコップやグラスなどを手でつかめないこと。

物理的に握りしめることはできるが、紙コップなら握り潰してしまうし、グラスなら滑って手から落ちてしまう。

仕方なくコップは両手で下からつつみこむようにして持っていた。

ホットコーヒーなどは取っ手を持つと滑ってしまうし、下から持つと熱いので持つのに苦労した。

しばらくして変な感覚が生まれてきた。

それは持っているコップがヌルヌルしているという感覚だ。

もちろんコップは濡れていないし、ヌルヌルもしてもいない。

いくら手の触覚がないだけと思っても感覚的には物のほうがヌルヌルしているのだ。

コップだけでなく手に触れるすべてのものがヌルヌルしている。

つまり、私の脳は手に触覚がないのではなく、周りの世界がヌルヌルしているという幻覚を私に与えたのだ。

ヌルヌルしているから手で持とうとすると滑ってしまうという帳尻合わせだろう。

私がいくらそのヌルヌルは間違っていると理性的に考えても、そのヌルヌル感を正すことはできなかった。

幸い手の感覚は戻ってきて、そのヌルヌルは消えてしまった。

こんな奇妙な体験があるので、この著者の主張は、間違っていないように感じてしまう。


Monday, October 17

草木屋敷


草木に呑み込まれているこの家もいつかは消えて更地に変わる


暗渠沿いの「草木屋敷」。覆い尽くしているのはムクゲ。

柵からはみ出ているのはオシロイバナ。

大いなる眠り。

Sunday, October 16

イヌマキの実


もう誰も手入れする人いないのか空家のイヌマキ虚しく実る


空家らしい家の生垣。様々の樹木が茂り放題に茂っていた。

その中にイヌマキの木があったので探して見るときれいな実があった。

緑が種子で赤いのは偽果で、鳥が種子と一緒に食べるという。

ここの木々は、この空家に手が入るまでの命かもしれない。

Saturday, October 15

シュウメイギクの花


花びらに見えて花びらを欠く花秋明菊は萼片の花


一見花弁に見えるものは萼片で、シュウメイギクには花弁はない。

真ん中の黄色が雄しべ、真ん中が雌しべ。

その周りに見えない花びらがあるかのようだ。

Friday, October 14

ウバメガシの実


公園のトイレの横でキョロキョロと気になるものはウバメガシの実


いつも立ち寄る緑地公園。公衆トイレの横に気になるどんぐりの実を発見。

ウバメガシの堅果らしい。場所柄、急いで写真を撮って引き上げた。

不審者に思われなかったか…。

Thursday, October 13

モッコクの実


宮様も将軍様もご覧になったかもしれない木斛の実を


浜離宮の入口付近のモッコクの植え込み。赤い実がついていた。

かつて皇族や殿様たちがこの前を通ったこともあっただろう。

モッコクは庭木の王だという。

Monday, October 10

ケイトウの花

近づいて覗いてみるとにぎやかな声がしそうな鶏頭の花


鶏頭の花。トサカではないので鶏頭ではないが、一応その仲間らしい。

にぎやかな感じで、これは子規が好んだ鶏頭ではないだろう。

Sunday, October 9

サンショウの実


荒屋敷道端に木々あふれ出てなかには山椒の実なども交じる


暗渠道を散策していたら荒屋敷があった。昔からの家らしい。

何種類かの庭木に混じって山椒の木があった。よく見ると実が少し。

通り道なので誰か取っていく人がいるのだろうか?

Saturday, October 8

『おいしいごはんが食べられますように』


十三夜もらった団子をこっそりと暗がりに捨て踏み潰す奴

『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子)を読んで。

多くの読者がこの小説を読んでもやもや感が残ったのではないか。

そのもやもや感の正体は何なのだろうか。気になるところ。

芦川さんの作ったお菓子を表面的にはおいしいおいしいと褒めながら陰で握り潰し捨てている仮面野郎の二谷か?

ひたすら善人キャラを演じながらしっかりと仕事の手を抜いて上司の覚えめでたく(結果的には)最後には敵を追い出して職場に居残り続ける芦川さんか?

あるいはお互いに本当の姿を見せないままに仲のいい恋人として付き合ってやがて結婚もしそうな二谷と芦川さんの不可解な関係か?

読者をスッキリとさせない終わり方が芥川賞的なのかも。

それから文学とは関係ないが、ペイ・フォー・パフォーマンスという考え方が浸透してくると、芦川さんのような人も「働かないおじさん」と同じようにあぶり出されてくる日は近いのかもしれない。

同僚が、先輩だから、高齢だから、いい人だから、病気持ちだから、家族を支えなければならないから、等々で、仕方ないと思っていた偏った仕事分担だが「働かない」という点では同じ。

本当のもやもやはこっちの方かな?

Friday, October 7

『カモメの日の読書』


カモメ来よ本を開けば純白のページの海に一青沙鴎

『カモメの日の読書』(小津夜景)を読んで。

『いつかたこぶねになる日』と同じく漢詩エッセーとでも言うべき作品。こちらの方が先の出版。

各篇ごとに漢詩をめぐる作者の漢詩的日常が描かれている。フランスでのノマドのような暮らしぶりが小気味よい。

作者は『フラワーズ・カンフー』で田中裕明賞を受賞している俳人だが、その出発点に漢詩の世界が大いに関わっていたことは興味深い。

いずれも自由自在なタッチで書かれていて愉しいエッセーなのだが、「水のささやきを聞いた夜」と「言葉にならないさよなら」で交わされる頼山陽と愛人の江馬細香の漢詩「相聞歌」のように漢詩人たちの人生を垣間見せるものもある。

驚いたのは、作者が子どものときに本を声に出して読むと、母親がリコーダーでただちにそれを曲に変える遊びをしていたという話。

母から娘への芸術的「ギフテッド」。この人の文才はお母さんの魔法で生まれたのかなと思ってしまった。

Tuesday, October 4

オシロイバナの実


黒い種子集める子どもに誰かの声オシロイバナは有毒ですよ


オシロイバナが黒い種子をつけていた。

これを割ると中に白い胚乳の粉があり、それを白粉に見立てる遊びからこの名前がついたという。

その遊び方を紹介するHPに「オシロイバナは有毒だと聞くが顔に塗っても大丈夫なのか」という声がよせられていた。

害はないとのことだが、親たちは慎重になるね。

Monday, October 3

ニオイテンジクアオイの花


まあなんてこてこての顔恥ずかしくないのとそばで睨んでる花


たぶんニオイテンジクアオイの花。横から見るとさらに奇抜な形をしているが、虫から見ると魅力的なのかもしれない。

ちょっと擬人化してみたくなった。

Sunday, October 2

コットンボール


細々と咲いてた綿の花もやがて綿の実がつくふもふの玉


いつも行く緑地公園に咲いていた綿の花に綿の実がついていた。

もふもふとしていたので触ってみたくなったが、見るだけにとどめた。

芭蕉が読んだ句に。

名月の花かと見えて棉(わた)畠

というのがあるが、芭蕉が伊賀の月見の宴で詠んだ句らしい。

当時の中秋の名月は今の暦だと10月3日だというからまさに今頃の句。

月光を浴びて広々とした綿畑の実綿が花のように輝いていたのであろう。

Friday, September 30

ブラシノキの花


九月尽秋を残暑が押し退けてブラシノキの花赤々と咲く


蘆花恒春園。水無川の暗渠が都立公園の南側を通っている。

園内で咲いていたブラシノキの花。秋に咲く花もあるようだ。

イメージは秋より残暑かな?

Thursday, September 29

ヘクソカズラの花


屎葛その花まじまじ見てみると赤紫の傷口みたい


ヘクソカズラの花。酷い名前だが、万葉の昔から「屎葛」と呼ばれていたようだ。

さうけふに延(は)ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ

さうけふ(そうきょう)とはジャケツイバラ。ヘクソカズラのように強くたくましく宮仕えしよう、みたいな歌。

何となくヤケクソな決意のようにも聞こえるが…。

臭いはともかくその花もよく見ると流血めいていて不吉ではないか。

キンモクセイの花


香りから入らず花から花見ると金木犀もそれなりに花


例年だとその強い香りに気づくキンモクセイの花。今年はなぜかいつもの緑地でばったりと遭遇。トイレの横に植えられていた。

特に強い感興を催す花ではないが、君も花なんだなあと妙に納得した。

Wednesday, September 28

ヤマブキの花


狂い花とは失礼な山吹よ空気なんかは読まずに咲けよ


緑道の植え込みで咲いていたヤマブキの花。数は2つか3つぐらい。八重の花もあった。

いわゆる狂い花とか返り花とかいうのだろうが、勝手花とかでよくない?

Tuesday, September 27

ソケイの花


この白に蕾の紅を潜ませているのだろうか素馨の花は


暗渠沿いの人家の垣根に咲いていた。詳しい園芸種名は分からないが、とりあえずソケイ(素馨)の花としておく。

薄紅色のつぼみの色はどこに消えてはしまうのか不思議。

花よりつぼみ。

Monday, September 26

クズの蕾


花よりもつぼみに造化の妙を見るたとえば葛の色づくつぼみ


見ているようであまり見ないクズの花。たまたまその花を見つけたので近寄って見た。

花は私にはアクが強すぎたようで、むしろ薄紫のつぼみの方に心が惹かれた。

すべて幼いものは可愛い?

Sunday, September 25

クズクビボソハムシ


向かうところ敵なしどこでも繁茂する葛の葉無惨天敵現る


ぎょっとする光景。無敵の雑草と思っていたクズが無残の姿に。

クズの葉を大好物とするこの虫はクズクビボソハムシ(続けて3回言えますか?)というらしい。

中国から日本に侵入したハムシで、都内では2016年にはじめての確認されたという。食い尽くしたらどうするのだろうか?

トレニアの花


よく見ると花べんの中で熱烈に雄しべどうしがキスするトレニア


台風一過の秋空で都内も残暑を感じさせる一日となった。

用賀の緑地。植え込みにトレニアの花が咲いている。可愛らしい花。

後で撮った写真を見ると花べんの中で雄しべどうしがまるでキスするようにくっついている。

どんな仕組みでこうなるのやら…

Friday, September 23

白ヒガンバナ


急な雨にどんどん行くと暗がりに囁くように白彼岸花


台風の影響らしくまた連休は雨になりそうだ。

時おり雨脚が強くなる中を歩いていたら人家の植え込みでヒガンバナたちが咲いていた。

暗くなると赤よりも白い方が不気味な感じがする。

そういえば今日は彼岸の中日。

Thursday, September 22

『あくてえ』


ばばあとかじじいとかいう悪態は天に唾吐くように吐こうぜ



『あくてえ』(山下紘加)を読んで。

文学的な創作だとは分かっているが、どうしても現実に引き寄せて考えたくなる作品。

こんな身勝手な老婆(ゆめは心の中ではばばあと呼んでいる)もきいちゃん(ゆめの母親)のような人のいい女性も現実にはあまりいないだろうと思う。

しかし案外きいちゃんのように困った事態を後先のことも考えずに引き受けてしまう人はいるのではないか。

地獄への道は善意が敷き詰められているというが、きいちゃんのような善意の人がこの世の地獄も作り出しているのかもしれない。

きいちゃんが出戻ってきた老婆(彼女にとっては元義母でしかないのだが、老婆が勝手に娘だと主張している)を知らないと拒絶すれば、ゆめも母と娘の穏やかな暮らしを送れたはず。

小説の最後では、甲斐性のない、すぐに面倒から逃げ出す父親(離婚して別の家庭を持っている)は借金を抱えて老婆(本当は自分が面倒を見なければいけない母親)の生活費も払えなくなっている。

懸命に介護をしてきたきいちゃんも過労で寝込んでしまった。

このわがまま放題に暮らしてきた老婆をいったい誰が面倒を見るというのだろうか。

ゆめしかいないのではないか。20歳になったばかりで、やっと派遣社員から正社員になれた彼女のささやかな幸福はどうなってしまうのか。

この先この老婆が何年生きるか分からないが、百歳(現在90歳)ぐらい平気で突破しそうな勢い。

老婆にとって孫の悪態などなんてことない。談話の一種ぐらいとでも思っているのだろう。

何だかんだ言ってきいちゃんとゆめを手球に取ってうまく世話をさせているとしか思えない。

読めば読むほどゆめと一緒に老婆に悪態をつきたくなってくる。

ふつうの小説だと、この老婆が急にぽっくり逝って、最後は悲喜交交の大団円となるのだが、作者はそんな微温的な「小説的結末」を認めたくなかったのだろう。

(でも芥川賞は取れたかもしれないね)

Wednesday, September 21

ジンジャーリリー


暗渠道たどれば路上園芸展ジンジャーリリーの花なども咲く


いつも歩いている暗渠の緑道。高速道路下で道が途切れている。

今日は、さらにその先の道を求めて歩いてみた。道は狭くなって、確かにかつて川が流れていた感じがした。

人家の前(裏)にはいわゆる路上園芸。りっぱなジンジャーリリーの花が咲いていた。

暗渠には路上園芸がよく合う。

この緑道どこまで続く途切れてはまた現れる幻の川

Tuesday, September 20

トキワネム


濡れた花何やら色気のようなもの出しているのかふらふらと寄る


台風の影響で強い雨が降ったり止んだりの一日。

いつもの通り道でネムノキの花に気づいた。季節が違うなと思ったらトキワネムの花らしい。

雨滴がまだ残っているが、濡れた花もそれなりに趣きがある。

色気とは生命力?


Monday, September 19

ニラの花


万葉の娘もニラの花よりか若い男に気持ちもそぞろ


万葉時代から歌に詠まれていたという。東歌に1首。「くくらみ」はニラのこと。「きはつく」は地名らしいが、音に「ソワソワ感」がある。

きはつくの岡のくくみら我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね

「きわつくの岡にニラを摘みに来たけれど、カゴいっぱいにならないね」「じゃ、あの方と一緒にお摘みなさいよ、うふふ」

いつの時代も花より、いい男。

Sunday, September 18

『くるまの娘』


子は親を選べず未完の親のもと子どもは未完の子となる連鎖


『くるまの娘』(宇佐見りん)を読んで。

正直、読んでいて辛くて途中で読むのをやめようと思った作品。

主人公のかんこは親から肉体的・精神的に暴力をふるわれている高校生。学校には保健室登校している。

兄と弟はそんな親に見切りをつけてすでに家を出ているが、かんこはかろうじて家にとどまっている。

かんこに暴力をふるう父親は、自分が受けた虐待体験を子どもたちに擬態語(ドカーン、ボコーン、エーンなど)でしか語れない。

しかし小説の最後で彼は自分の傷をかんこに語りながら「なんで生きてきちゃったんだろうな」とつぶやく。

運転席にいた父親が激情してアクセルを踏み込めば自分たちも近くにいる歩行者も危険だということをかんこは感じる。

しかし父親は一線を越えることはなかった。

「自己責任論」が覆い尽くす日本の社会。<生きるか・死ぬか>の最後の一線で踏みとどまっている人がたくさんいるにちがいない。

最近、ニュースになる「最強の人」たちもその一線で躊躇ったときに彼(女)らの言葉を聞いてくれる人(家族や友人など)がいればその人生も変わったかもしれない。

アベマテレビで、そういう最後の一線で迷う人たちの電話相談をしている女性がこんな話をしていた。

「女性の相談者は、自分のことを語っているうちに落ち着いてくる人が多いが、男性は<原因>が見つからないと怒りを収められない(人が多い)」と。

かんこの父親は、母親の死後に彼女がきょうだいの中で自分のアルバムだけ作っていなかったことを知ってショックを受ける。

彼は、母親のえこひいきにあらためて絶望するわけだが、それは誰からもいじめられたことがないと豪語する彼が誰にも見せたくなかった心の傷だったのだろう。

それを娘にきちんと言葉で語れたところに彼自身の歪んだ人生の「原因」を見つけたかもしれない。

そしてそれを引き出したのが、かんこの、<遠からず・近からず>の「くるま暮らし」だったのではないか。

「くるま」が家族の絆であり柵であったとするならば、かんこは最後までそこにとどまって、それをひとり守ろうとしたという読み方もできる。

こういった共依存関係はできるだけ早く清算して、それぞれが自分の行動に責任を持って自立した大人にならなくてはいけない、というのが世間の正解かもしれないが…

Friday, September 16

キバナコスモス


葉っぱではなく花びらを食べてるの?こんな芋虫増えたら困る


キバナコスモスの花びらにイモムシ。何をしているのか分からなかったが、後で調べるとどうやら花びらを食べているらしい。

オオタバコガという蛾の幼虫らしく、広食性で葉も花も食べるようだ。

他にはあまりいないようだが、花を愛でる人にとっては恐るべき害虫。

困るガー😥

Wednesday, September 14

タマスダレ


この花を見るとつい出るあの口上、アさて南京玉すだれぇー


タマスダレの花があちこちで咲き始めている。初夏にも咲いていたと思うが、今咲くのは秋咲き品種らしい。

それにしてもこの命名はいかがなものか。どうしてもあの伝統芸を連想してしまうのは私だけではないだろう。

アさて、さて、さて・・・

Tuesday, September 13

カラスウリの実


花も終わり首尾よく結実したんだねカラスウリの実ゆっくり熟せ

首尾よく結実したカラスウリの実。これからだんだん熟して太くなり、赤くなっていく。

こちらは先行している実。

のんびり行こうよ。誰も取って食わないから(相当まずいらしいし😖)


(追記)
数日後見ると緑道の植込み上に繁茂していたこのカラスウリは完全に除草されていた。業者が入ったようだ。😥

追善供養(?)にその実と花を載せておこう。一番早熟だった実。


花は夜の9時頃撮影したもの。

Sunday, September 11

アカボシゴマダラ


鮮やかなアカボシゴマダラぶっそうな放蝶ゲリラが裏にいるとか


用賀の緑地。カシワの葉に隠れるように止まっていた蝶。

赤い模様が鮮やか。見たことない蝶だなと思って調べてみると、アカボシゴマダラという中国原産の蝶らしい。

マニアが藤沢あたりで放蝶した蝶が首都圏に広がっているそうだ。

生態系にも影響があるということで、要注意外来生物に指定されている。

「放蝶ゲリラ」という物騒な言葉は、蝶たちではなく放蝶した人たちのことだろう。

逃げ出したのではなく意図的に放したということらしいが、どんなものか?