Tuesday, May 31

カシワバアジサイ


雨に濡れたせいかぐったりグロッキー カシワバアジサイ起き上がれるか


職場のカシワバアジサイの花。一重咲きだが、やはり頭は重いのか、あるいは朝方まで降っていた雨のせいかみな頭を垂れている。

やはり添木が必要なのだろうか。


Monday, May 30

オオキンケイギク


駆除せよとの声も聞こえるオオキンケイギクの花もう見られないかも


駐車場の隅で群れて咲いていたオオキンケイギク。一花だけ金網からこちらを見るように頭を出している。

なかなかきれいな花だが、特定外来生物に指定されている。

駆除活動もあるようで、この群生地のオオキンケイギクたちもそのうち引き抜かれてしまうかもしれない。

ちょっと目立ちすぎたか?

(追記:以前の写真は違う花なので差し替えました。2022/6/7)

Sunday, May 29

タチアオイ


梅雨の間に花を咲かせるタチアオイ 梅雨明けまでにまた会いたいね


用賀のオオゼキの近く。タチアオイの花が咲いてた。ほとんど注目する人はいない。

しばらくこちらには来ないので会えるとしたら梅雨明けの頃になりそう。

そこから少し離れたところでクズの葉で交尾している虫を発見。

クズホソクビハムシといって2016年に中国からやって来て都内で爆発的に増加している虫らしい。

産めよ増やせよの虫。

Saturday, May 28

シモツケ


人の手も老いてしまったか 永山の団地の近くにシモツケの花



永山団地あたり。高齢化の波はこのあたりにも押し寄せているように思える。

斜面にシモツケの花。かつて誰かが手入れしていたのだろうが、今は野生化しているようだ。

梢でガビチョウがけたたましく鳴いている。特定外来生物。そのうち住宅地にも進出してくるかもしれない。

近くでは本物のウグイスのさえずりも聞こえるのだが、それをかき消すかのように鳴き騒いでいる。

天上天下唯我独尊ですか?


(参考→youtube動画)


Friday, May 27

ヒメジョオン


雨上がりもう大丈夫だと濡れた花弁広げて乾かすヒメジョオンの花


ハルジオンとヒメジョオンは紛らわしいが、これはヒメジョオン。雨の時は、こうやって花弁をまるめてやり過ごすのであろうか。

とにかくやり過ごすのが大事?

Thursday, May 26

オオバコ


子どもらが踏み固めた土 上等とオオバコばかりが花咲かせてる


空き地のような公園。人が踏み固めたところ以外は草むらとなっている。踏み固めたところをニッチとするオオバコが花をつけていた。

人の足が入らないと場所だとあっと言う間に他の植物に駆逐されてしまうそうだ。

子どものおかげで花を咲かせます。

Wednesday, May 25

ナンテン


緑道の南天つぼみに花が咲く 秋の実を見るときどうなってるか?


烏山あたりの緑道。もとは水路だったようだ。ナンテンのつぼみが道に垂れかかっている。秋にはどんな思いで赤い実を見るのだろうか。

自分自身にも<実り>があるといいのだが。

Tuesday, May 24

ビヨウヤナギ


にぎやかなツケマのような雄しべたち ビヨウヤナギは自己主張の花?


この時期、キンシバイとよく似た花を咲かせるのがビヨウヤナギ。同じ仲間ではあるが、生き方がまったく違う。

ビヨウヤナギは、とにかく目立ったもの勝ちという分かりやすいスタンス。

堅実そうなキンシバイか、自己主張のビヨウヤナギか、どちらが好みですか?

Monday, May 23

キンシバイ


来週は梅雨入りだという 植え込みのキンシバイも花盛りだろう


駅前の団地のキンシバイ。花弁が割れているので、ヒペリカム・ヒドコートという園芸種だろうがとりあえずキンシバイと呼んでおく。

梅雨のアジサイもいいが、黄色の花も悪くない。

Sunday, May 22

グミ


薫風は1/fゆらぎ心地よく色とりどりの茱萸の実揺らす


気持ちのよい午後。そよ風はまさに薫風。おそらく1/fゆらぎと呼ばれる心地よいゆらぎだろう。

この大きなグミは「びっくりグミ」という品種かもしれない。

こんなに心地よい午後は、5月にはあまりない。

Saturday, May 21

『パラソルでパラシュート』


パラソルでそこから飛んだら死んじゃうと思えばそこが人生の崖


『パラソルでパラシュート』(一穂ミチ著)を読んで。

受付嬢の美雨は、大阪城ホールのライブでひょんなきっかけからお笑い芸人の亨と知り合うことになる。

亨は30歳で、19歳のときに北海道から大阪にやって来て養成所で同期の弓彦と「安全ピン」というコンビを組んでいる。

美雨は29歳。非正規社員の受付嬢は更新は30歳までと(暗黙のルールで)決まっていた。

30歳がいわば崖っぷちで、そこから社会生活に安全に着地するための「パラシュート」が結婚だった。

「いつの時代の話?」と思う人もいるかもしれないが、そういう社会通念はいまだに呪いのように日本社会を覆っているのかもしれない。

亨やその芸人仲間と親しくなった美雨は、そういう「パラシュート」的人生から次第に外れていく。

この世の中には、たとえささやかでも生きて楽しめ、助け合える場所があるはずだという、大人のメルヘンのような展開。

パラソルで崖から飛び降りればただではすまないが、今いる場所からちょっと飛び上がってみることはできる。

美雨が頭にバンドエイドを貼ったように自分の凝り固まったスタイルを崩すことができれば、大きな問題も違って見えてくるかもしれない。

個人の深刻な問題を救えるのは笑いだけだというようなセリフがどこかにあったような気がするが。

それから言葉とアイデンティティという問題も考えさせられた。

北海道から逃げてきた亨は、自分の過去のアイデンティティを捨てるために大阪弁の芸人の世界に入る。

亨がステージで演じる「夏子」は標準語をしゃべるので、言葉から見ると地の自分の言葉に近い世界の住人であろう。

亨は、一度は捨てたアイデンティティを演じることで相対化しようとしているとも言える。

それは最終的に義母との関係を「お笑い化」することによって、亨が過去の呪縛から自由になるというエピソードではっきりする。

では美雨の場合はどうだろうか?

高校2年生のときに、東京から大阪に引っ越してきた彼女の言語的アイデンティティは微妙だ。

ただ、まったく周りの言葉に影響を受けずに標準語の世界にとどまる美雨には、ある種の頑なさを感じる。

絶対に自分のアイデンティティを変えたくないという頑固さと重苦しさが美雨にはある。その「緊縛の苦しみ」を暗示するのが最初の出血事件であり、そこで見つけたのが亨のような融通無碍のアイデンティティだったのではないだろうか。

もちろん自由自在に見えた亨の生き方が、実は美雨以上に過去の呪縛に囚われた緊縛の人生だったことは言うまでもない。

最後に亨の緊縛を解くために、美雨が激しくも完璧な大阪弁で亨に詰め寄ったのは、美雨のアイデンティティがしなやかさと自由を獲得したという意味で象徴的なエピソードとなっている。

著者は、ネット情報によると大阪出身らしいので、大阪弁と標準語のビミョーな関係に敏感なのであろう。

言語的アイデンティティという意味でも興味深い作品となっている。

Friday, May 20

センダン


身の不調もひとつのサインか 帰る道変えたら咲いてるセンダンの花


一週間ばかり足が痛い。たぶん足底筋膜炎。走ってる頃はよくなった。痛みを軽減するためにレンタサイクルを探していつもと違う道を歩く。

かつての用水路の跡の緑道で、旧甲州街道沿いに出たところで素晴らしい花に逢った。満開のセンダンの花。見惚れてしばらく見上げていた。

どうして今までこの道に気づかなかったのだろう。まさに怪我の功名。

Thursday, May 19

マンネングサ


ことさらに多肉植物多種多様 マンネングサでいいんじゃないの


雑草に交じって花をつける多肉植物。マンネングサだが、その種類は分からない。そこまで極めないところが道楽のいいところ。

何事もつきつめない方がいい。

Wednesday, May 18

カキ


柿の木の若葉の中にひっそりと雌花咲く ああ「へた」が先なんだ


いつも見る駅前の柿の木。若葉の季節になったなあと思って見上げると初々しい雌花。秋には柿の実になる。

季節は進み、人事も進む。

Tuesday, May 17

キキョウソウ


キキョウソウその名に合うのは色だけでつぼみのままなら段々桔梗か


紫の小さな花をつける野草。キキョウソウ(桔梗草)というらしいが、花や葉の形はまったくキキョウに似ていない。

この草はまわりの草から抜きん出ように背丈を伸ばして段々に葉と花をつけていく。

花が開く前のつぼみの状態なら桔梗に似てなくもない。

だんだんと桔梗になっていく?

Monday, May 16

ブラシノキ


二階まで届くブラシノキの花 故郷のオーストラリアではそうか


とあるアパートの建物。こんなに背の高いブラシノキは初めて見た。花がなければ気づかなかった。

原産地のオーストラリアではこんな感じで咲いているんだろうなあ。

植物も郷に入れば郷に従えです。

Sunday, May 15

アメリカフウロ


蟻などがいたらびっくり 「投石機」でアメリカフウロが種子飛ばす時


アメリカフウロの実ができていた。黒い玉の中に種子が入っていて、それが縦長の塔に巻き上げられて投石機のように種子を飛ばすという。

ロケットの発射台みたいだ。

Saturday, May 14

イチゴ


草茂る玄関先に白い花 忘れましたかイチゴの実のこと


いつもの通り道。雑草天国となっているとある玄関先。ふと見ると白い花と赤い実。おそらく普通の栽培用のイチゴではないだろうか。

これを植えた人は、もう家にはいないのだろう。

Friday, May 13

オリーブ


雨の多い年にはオリーブよく花をつけてるそうな地中海では


雨の金曜日。道を歩いているとコンクリートの植込みの中にはオリーブの木。花芽がたくさん。花が開いているものもある。

来週はどうなっているか楽しみ。

Thursday, May 12

ナガミヒナゲシ


ポピーかと見ていたナガミヒナゲシの花芯覗くとちょっと怖いかも


最近あちこちで見かけるナガミヒナゲシの花。いわゆるポピーかと思っていたが、駆除すべきの声も出ている外来生物らしい。

じっくり花の中を覗き込んでみるとこんな顔つき。生物機械みたい。

下に見えるのはユウゲショウの花。こちらは駆除の声はないようだ。

Wednesday, May 11

トキワツユクサ


要注意外来生物その花の名前は清楚なトキワツユクサ


常盤御前から名前を取ったのであろうか。きれいな名前だが繁殖力が強く、要注意外来生物だという。

確かによく見るときつそうな顔つき、か?

Tuesday, May 10

マメグンバイナズナ


マメグンバイナズナという名は言い得て妙 軍配みたいな実の可愛らしさ


立ち止まってしばらく見ていないと雑草たちの魅力は分からない。今日はマメグンバイナズナの花と実を堪能した。

漢字で書くと「豆軍配薺」だが、これはちょっといかめしいなあ。

Monday, May 9

ヒメクグ


雑草も名前を知れば草花のひとつ ヒメクグ可愛すぎるぞ


対象に好意があれば「君の名は」と聞きたくなる。雑草も同じこと。急ぐ道ゆえ写真に収めただけだが、カヤツリグサの仲間らしい。

ヒメクグという名前ちょっと可愛らしすぎ?

Sunday, May 8

ベニバナトチノキ


二週間ぶりの公園来てみたら炎の花咲くベニバナトチノキ

日曜日の習い事。先週は体調不良で休んで今日出かけると近くの公園の木が花を咲かせているではないか。

ベニバナトチノキの花。こんなところにこの木があるなんて今まで不覚にも気づかなかった。

花は植物たちの呼び声ですね。

Saturday, May 7

ハハコグサ


黄色い花子どもに見えるハハコグサ かつて日本も子だくさんの国

道端で咲くハハコグサの花。名前のイメージで見てしまう。黄色い小花が子どもたち。

子どもたちがひしめいていた時代が懐かしい。

Friday, May 6

テイカカズラ


道を行く人も垣根に立ち止まる テイカカズラの花咲く頃に

職場へ向かう道。のんびり植物を見ながら歩くのが楽しみ。いつもなら通り過ぎる垣根。白い花が咲いているので立ち止まって見るとテイカカズラの花が咲いている。

花が咲いてその植物が分かるのはこの時期だけの眼福。

Thursday, May 5

カクレミノ


ギザギザで尖っているのは幼さの印だというカクレミノの葉

カクレミノの葉。割れて尖っているものと丸くなっているものがある。

成長すると割れてくるのかと思っていたが、調べてみると逆だった。

尖っているのは幼い印らしい。人間みたい。

小田急線の新宿駅あたりの踏切で。

Wednesday, May 4

『歴史のIF(もしも)』


人生にIFがあればと思うときIFの自分はもうそこいる

『歴史のIF(もしも)』(本郷和人著)を読んで。

「歴史のIF」は禁じ手だが、歴史学者があえて考察したのが本書。

たとえば、石橋山の戦いで頼朝が殺されていたら歴史はどうなるか、といった具合。

歴史の場合は、「システムの力」のようなものが働いて、中心となる人物が死んでもその代わりの人物が現れてくるということらしい。

頼朝がいなくなっても「ニア頼朝」が現れると。

では、個人の人生はどうだろうか?

思うに、頼朝がいなくても「ニア頼朝」が現れるように、私がいなくても「ニア私」がいるのではないか。

私に似た私が私のポジションを占めている。何だか聞いたような話だなあと思ったら『残月記』にそんな話があった。

Tuesday, May 3

『28言語で読む星の王子さま』


見ると聞くとでは違うと言うけれど言語は見るより聞くのが近い


久しぶりにも『28言語で読む星の王子さま』を読んだ。

といってもすべての言語ではなく、比較的知っている言語だけだが。

文字面だけ見ていてもその言語を知ったことにはならない。

読めること、聞いて理解できること、そして言葉や文字で表現できること。

ある言語を知るとは奥が深いことだが、「見る」と「聞く」に限って言えば、やはり後者が「知る」に近いと思う。

ということで、目で見るだけではなく、できるだけ声に出して読んでみた。

自分の好みで言えば、イタリア語が一番好きかもしれない。

イタリア語で、"Il Piccolo Principe"を読んでみようか。

Monday, May 2

シロツメクサ


葉の数を数える暇なくクローバーいまさら四葉を見つけてどうなる?

シロツメクサ。いわゆる四葉のクローバーがないかと昔はよく探したものだが、いまはそんのことも忘れている。

童心に返って探してみるのも悪くないかも。ただ見つけたら引き抜きたくなるが、それはそれで抵抗感がある。

とるのは写真だけ?

Sunday, May 1

『北条氏の時代』


陰謀論あるわけないと言う人が身近な陰謀には与する

『北条氏の時代』(本郷和人著)を読んで。

本書を読むと北条氏の創成期のリーダーの一人義時は卓越した陰謀家だったことが分かる。

著者が書いているように、「陰謀力」も「実力」のひとつの要素。リーダーの力の源泉の一つだ。

「鎌倉殿の13人」を観ているが、だんだんとドラマが陰謀まみれになってきて面白い。陰謀の一つもこなせない武士のリーダーなどありえない。

小栗旬の義時もどんどん陰謀に手を汚して大泉洋の頼朝に負けないぐらいの汚れたリーダーを演じてほしいものだ。

鎌倉時代は、いわば陰謀だらけの時代。そして陰謀の本家本元が北条氏だったということもできる。

どの時代にも「陰謀」はあるが、「陰謀論」は単なる物語にすぎない?

力の争いがあるところに陰謀あり。