Sunday, July 31

ワルナスビ


松林光がないのか林床にはびこるワルはワルナスビだけ


近所の狭い松林。すでに蝉時雨。中に入ると林床に咲いているのはワルナスビの花。

ただの命名だが、なんだかワルい奴らに思えるから不思議。 コトダマか?


Saturday, July 30

ウチワゼニクサ


多摩川の堰堤近くの水際にはウチワゼニクサばかりが茂る


多摩川の登戸近くの堰堤。その手前の水辺に来てみた。いつも車窓から見ていた風景。

気持ちのよい川風が吹いている。足元には見慣れない草が繁茂している。かつて見たことのない草。調べてみるとウチワゼニクサといって、もとはアクアリウムで栽培されていた水草らしい。

川の風景も変わっていく。

Friday, July 29

ハイビスカス


一昨日は気づかず通って緑道の人家に今日はハイビスカス咲く


いつも通る緑道の脇の人家。真っ赤なハイビスカスの花が咲いている。

一昨日は咲いていなかったように思うが、見過ごしたのであろうか。

盛夏にふさわしい花。

Tuesday, July 26

サルスベリ


セミも鳴きようやく夏の歯車が噛み合う花はサルスベリ咲く


サルスベリの花があちこちで咲き出している。

この夏も次々と花を咲かせるのだろう。天気はまだ梅雨みたいだが、夏の歯車が動き始めたようだ。


Monday, July 25

エゴノネコアシ


久々に見るとエゴノキしっかりと足出しているエゴノネコアシ


ユニークな形をしたエゴノネコアシ。エゴノネコアシアブラムシの虫こぶ。上の方にいくつか。

下の方の実はほとんどが穴が開いている。こちらは、エゴノヒゲナガゾウムシが実に卵を産みつけたあとらしい。

エゴノキの実は虫好み?

Friday, July 22

アメリカオニアザミ


道端にどこかで見かけた凶悪な顔つきアメリカオニアザミさん


うだるような昼下り。病院に向かう道で見つけたアメリカオニアザミ。

雑草に交じって身を潜めていた。絶対に触れたくない痛さ。遠くから写真を撮っただけ。


Thursday, July 21

イチジク


ぐったりと疲れて帰る道すがら甘い匂いにイチジク見っけ


疲れ切って駅前に来たときどこからか甘い匂い。この匂いはとあたりを見廻してみる。

通り沿いの人家、イチジクの木の実がちょっと熟し始めていた。

少しだけ元気が出た。

Tuesday, July 19

セミの穴


コナラの木の根もとに小さな穴ひとつどこか遠くで初蝉の声


いつのも緑地公園。コナラの木陰で涼んでいたら足もとに小さな穴。セミの幼虫が地上に出てきた穴だ。

枝を探したが抜け殻は見つからない。

そのうちどこかでセミの声が聞こえてきた。初蝉だ。

学校も今日から夏休み。個人的にはいろいろ面倒なことがあるのだが、夏が来たと実感。

Saturday, July 16

ボタンクサギ


雨を得て元気が出たのか急速にボタンクサギのつぼみが開く


梅雨の末期のような雨が各地に降っている。やはりこれは梅雨としか言いようがない。

ボタンクサギのつぼみが次々と開いている。あまり注目する人はいないのが残念。

Friday, July 15

ブラックベリー


連日の雨に梅雨明け嘘くさくブラックベリーの実も湿っぽい


猛暑日が続き早々と梅雨明け宣言が出て、いまごろになって連日の雨。

後から梅雨明け再宣言が出るのではないか。雨に濡れたブラックベリーの実。

Thursday, July 14

ヘクソカズラ


雨上がりひっそり咲いてるこの花のヘクソカズラの名はひどくない?


梅雨明けしたのに梅雨のような鬱陶しい日が続く。

雨上がりの濡れた葉の下にヘクソカズラの花。

あんまりな命名ですね。

Wednesday, July 13

『方言萌え!?』


いつの日か関西弁が関西語になったら怖い国家の悪夢


『方言萌え!?』(田中ゆかり著)を読んで。

『関西弁入門』という本がある。言語としての「関西弁」を学習する入門書なのだが、これが「関西語」となるとちょっと怖い。

ある言葉がひとつの言語だと考えるときどうしても「国家意識」とリンクしてしまう。

かつて頼朝が「東国」を意識したときに、同時に自分たちの言語(京都人から忌避されていた)も意識したにちがいない。

旧ドイツのように、何らかの政治的に力学によって東と西が分かれたとき、急速に両者は別の文化を進展させていくだろう。

その時には「関西弁」は、「関西語」あるいは「上方語」となって別の言語の道をたどるのではないか(たとえば、セルビア語とクロアチア語のように)。

本書はまったくそういった本ではないが、「方言」があくまで日本語の多様性の一部として理解され、楽しまれている現代は幸せだと思った。

Tuesday, July 12

アメリカフヨウ


なんとまあ巨大なムクゲと思ったらアメリカフヨウという花らしい


巨大ムクゲ?と思ったらアメリカフヨウのいう花らしい。

たしかにアメリカっぽい。

Monday, July 11

ソヨゴ


枝に名札ぶら下がっているソヨゴの木、「戦」の文字が禍々しいが


ソヨゴの葉と実。名札がぶら下がっていたので分かった。

「ソヨゴ」の横に「戦」と書いてあるが、「戦ぐ」に「そよぐ」という読みがあるからだが、何となくその漢字に身構えてしまう。(ちなみに、「戦く」は「おののく」。

Sunday, July 10

『長生き地獄』

長生きが一体何の罪なのか、確かに「地獄」の沙汰は金次第


『長生き地獄』(森永卓郎著)を読んで。

何冊か類書を見かけるが、この人はこんな本ばかり書いているようだ。

今から30年後には夫婦2人世帯の年金が月額13万円まで下がると著者は警告する。

月13万円では、ふつうに生活することはできないだろうから、もし現実にそうなったとしたら「地獄」かもしれない。

ただ、これでは日本国は成り立たないだろう。政府が何もしないとは思えない。

本書のあとには、そういった未来にどう対処するかという指南や著者自身の生活が書かれている。

有名人である著者のライフ・スタイルを真似ても仕方ないが、何らかのヒントはありそうだ。

「長寿はリスク」だということを再認識する本ではある。

Saturday, July 9

『砂嵐に星屑』

人生は放送の後の砂嵐、見えない未来に星屑探して


『砂嵐に星屑』(一穂ミチ著)を読んで。

大阪のローカルテレビ局で勤める4人の男女の物語。

「砂嵐」というのは、放送終了時のザーという電波状態であろうか。

一見華やかな業界だが、そこで仕事をこなしている人たちの物語は、ふつうの会社の人たちのそれとあまり変わらないのではないか。

それぞれが自分のポジションに不満や不安を抱きながら、日々の決断を繰り返していく。

4つの短編は有機的につながっているのだが、一番心に残ったのは、やはり最後の「眠れぬ夜のあなた」。

いつか素人芸人の並木広道の「眠れぬ夜」が終わる日の物語を読んでみたい。

Friday, July 8

凶弾


木槿咲く事なき夏空揺るがして凶弾響く平和の果てに


安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。

ウクライナ問題といい、平和な世界の終焉を暗示するかのような事件。日本も安全な場所ではないということ。

冥福をお祈りします。

Thursday, July 7

ノブドウ


花を見てヤブガラシかなと思ったが実がありやはりノブドウらしい


ヤブガラシかなと思って見たが、実がついている。ふつうのヤブガラシは実をつけない。葉の形も違うのでノブドウだと思う。

Wednesday, July 6

カメムシ


逃げる気もないのかカメムシこちら向いて飛びつく気配に身を翻す


クサギカメムシだろうか。ムクゲの花を見ているときに見つけた。

例の臭いをつけられたらたまらないので、そそくさと身を翻して立ち去った。

Tuesday, July 5

クチナシ


クチナシの花咲く垣根に残る花のぞき込んだら蜂の巣作り


クチナシが満開だった垣根の花もほとんどが落ちてしまった。

残っている花をのぞき込んだら、蜂の巣づくり。何の蜂だろうか?



Monday, July 4

リアトリス


涼しげに見えるけれどもリアトリス熱くなったら縮みそうだね


リアトリス、近づいて見ると薄紫の穂状の花が涼しげ。暑さにも寒さにも強いとか。そういう形なのだろうか。

キリンギクとも。

Saturday, July 2

『修羅の都』


空白の三年間の頼朝を週刊文春スクープしてよ


『修羅の都』(伊東潤著)を読んで。


「吾妻鏡」には、頼朝が亡くなる建久10年(1199)1月13日の前の3年ほどの記録が何故が抜けている。

他の日記などの記録には、落馬で死んだとか、「飲水病」だったとか、「祟り」だとか書かれており、今ひとつはっきりしない。

この小説では、「老耄」つまり認知症で正常な判断力を失った頼朝を鎌倉幕府を救うために義時と政子が共謀して毒殺したことになっている。

飲水病(糖尿病)で脳梗塞を起こしたりして認知機能が損なわれることがあるようなので、認知障害はありえないことではないかもしれない。

『頼朝と義時』(呉座勇一著)では、鎌倉後期に編纂された「吾妻鏡」には、時の実権者である北条氏にとって都合の悪い事実は隠蔽されたのではないかと推測している。

つまり、頼朝が跡継ぎたる頼家のために行ったであろう権力継承の施策を意図的に消し去ったのではないかと。

たしかに北条氏にしてみると、頼朝の遺志に反して、頼家を殺し幕府を乗っ取ったことを隠したかったのだろう。

この小説では跡継ぎの頼家が暗愚な青年として描かれているが、そう単純な話ではないことは『頼朝と義時』を読むとよく分かる。

要は、頼家・比企氏一族VS北条氏一族の激しい権力闘争の結果、前者が後者に粛清されたのであろう。歴史は、勝者によって作られる。

頼朝は、稲毛重成が亡妻の追善供養のために行なった橋供養の帰りに落馬する。亡妻は政子の妹である。

案外、重成が出家したのもそうした北条氏の血みどろの闘争に巻き込まれたくなかったかもしれない。

Friday, July 1

この夏

この夏は久々京都に里帰りその後三島と湯河原へ

コロナ禍で帰れなかった京都へやっと帰れそう。帰るというのは言葉の綾で、実家に泊まるわけではない。京都駅周辺のホテルに泊まる。

京都で必ず行くのが植物園と鴨川。どうしているか気になる木たちがいる。

三島と湯河原は、神奈川に近いところでのんびりしたいから。「鎌倉殿」ゆかりの伊豆や修善寺などに出かけるかもしれないが、あまりあくせくしたくはない。

とにかくのんびり、ぼんやりと過ごしたい。