Friday, December 31

かなあみに


かなあみにまつばいくつもはさまつてかぜにふかれておほみそかです

金網に松葉いくつも挟まつて風に吹かれて大晦日です

いよいよ大晦日。寒いなか近くの本屋まで歩いていると金網にたくさんの松葉の又が挟まって風に吹かれている。なるほど金網が柵か。


しゆしじゆくすときまでちらずかれはたちかぜきてしゆしとさいごのたびへ

種子熟すときまで散らず枯葉たち風来て種子と最期の旅へ

『足元の小宇宙』を読む。著者の埴沙萠さんはすでに亡くなっているが、一生を植物研究に捧げた人物。ケヤキの枯葉はすぐに散らずに、種子が熟したときに枝から離れて、ひとかたまりになって羽の役割を果たして種子をできるだけ遠くに運ぶという。進化のしくみと言ってしまえばそれまでだが、我々の愛情ももとは単純な「しくみ」かもしれない。

Thursday, December 30

はやばやと


はやばやとらくえうすませてむくむくとはくもくれんはふゆめをおこす

早々と落葉済ませてむくむくとハクモクレンは冬芽を勃こす

近所の散歩道。まだ葉を残している木もあるが、ひとり冬芽を張らせているハクモクレン。何やら春に向けての意気込みが漲っている。

Wednesday, December 29

はかまゐり


はかまゐりうつはのかたちのこほりたちみづばでつどふたましゐみたいに

墓参り器の形の氷たち水場で集ふ魂みたいに

今日は家族で墓参り。墓前の湯呑の中が凍っていた。氷を捨てに行くと水場にいくつもの氷が散在。なんだか氷の社交場のように見えた。器の形の氷は、やがて水という無形にもどる。私たちの心も肉体という器で作られた氷のようなものかもしれない。

Tuesday, December 28

はだかぎの


はだかぎのこずゑにみどりのいのちありやどりぎみつけてだいきちとする

裸木の梢に緑の命ありヤドリギ見つけて大吉とする

冬の樹木観察の楽しみの一つは、ヤドリギを見つけること。なかなか見つけられなかったが、今日クヌギの裸木の梢にこんもりした緑を発見。よいお告げを聞いたような気分。

Monday, December 27

さやうなら


さやうならはなかたばみのはなぞのよさいごにさくはなみんなのはな

さやうならハナカタバミの花園よ最後に咲く花みんなの花

近所。ハナカタバミの花園。見てみるとこの寒さに葉はすっかりやられて変色し萎れつつある。中央で花が一、二輪弱々しく咲きかけている。

Sunday, December 26

こうばいの


こうばいのつぼみそろそろみえはじめどこにもゐるよけいわいのはな

紅梅の蕾そろそろ見え始めどこにもゐるよKYの花

用賀。生産緑地らしい一画。梅の木に赤い蕾がいくつも見えている。その中に何を勘違いしたのか花が一輪。まだちょっと早いかな。


びわのはなぢみでめだたぬはなだけどめじろはめろめろいりびたつてる

ビワの花地味で目立たぬ花だけどメジロはメロメロ入り浸つてる

大きなビワの木。目立たない花が上の方に咲いている。人は注目しないが、よほど蜜が美味なのか、メジロが何羽も来てしきりに花蜜を吸っている。メジロは繁る葉の中から出てきて蜜を吸ってはまた中に戻っていく。立ち止まって見ていないと分からない。あまり人通りがなくてよかった。

Saturday, December 25

なつかしの


なつかしのぷらたなすあゝよこえだにほじょぎそへられえうかいごなり

懐かしのプラタナス嗚呼横枝に補助木添へられ要介護なり

新宿御苑。久しぶりに見たプラタナス(モミジバスズカケノキ)。すっかり老木となって横枝に補助木が2本も添えられて何とか立っている。まだ実がいくつもぶら下がっているが、頑張って長生きしてほしい。


をんしつのきぎはかはらずかはりしはわかきひとらのなんともおほき

温室の木々は変はらず変はりしは若き人らの何とも多き

こちらも久しぶりの温室。建物が新しくキレイになっていた。中の木々はそれほど変わっていないが、若い人が驚くほど多い。そうか今日はクリスマスだなあ。それにしても若者が来るような場所ではなかったと思うのだが、時代が変わったんですねえ。

Friday, December 24

いしとりゐ


いしとりゐたけとまつのえゆははれてたけがうへでもしようちくといふ

石鳥居竹と松の枝結ははれて竹が上でも松竹と言ふ

等々力の神社。正月飾りか、竹と松の枝が大きな石鳥居に結わえ付けられている。来る正月にはこの神社にも参拝者が溢れかえるのだろう。


ばうねんくわいふえうふきふかにんげんはひとのまにゐてひとであるもの

忘年会不要不急か人間は人の間にゐて人であるもの

今日はサークルの忘年会。二年ぶりである。数日前に亡くなった人の話も出た。寿命かもしれないが、あるいはコロナ自粛がなければ今でも元気でいられたかもしれない、などと思ってしまう。人間らしいとは、人の中で活動することではないだろうか。人らしいとは言わない。

Thursday, December 23

でんしよくを


でんしよくをまかれたしらかしぼこぼこにされたかのやうこぶびやうらしい

電飾を巻かれたシラカシぼこぼこにされたかのやうこぶ病らしい

烏山の街路樹。シラカシらしい木に電飾が巻きつけられている。ある木の幹がこぶだらけになっている。どうやらシラカシ幹こぶ病と病気らしいのだが、なにか手当はないのだろうか。


ふじさんがみえなかつたねといふこゑすゑんじらわたるちいさなふみきり

富士山が見えなかつたねと言ふ声す園児ら渡る小さな踏切

烏山の踏切。園児らを連れた保母さんらしき女性が「今日は富士山が見えなかったね」と言っている。この線路の先に富士山が見えるのだろうか。方角的にはそうだ。今度晴れている日に見てみよう。

Wednesday, December 22

ほとけのざ


ほとけのざまだはなつけてるせんろわきかべありかぜなくひあたりもよく

ホトケノザまだ花つけてる線路脇壁あり風なく日当たりもよく

烏山。線路脇に背の低い壁があってその前がホトケノザの群生地となっている。まだ花をつけているものもある。不動産ではないが、雑草には夢のような立地条件。ただ残念ながらここは計画道路に当たっている。


せいれいのじだいはおはりとちのみもおにぐるみのみもただものとなる

精霊の時代は終りトチの実もオニグルミの実も唯物となる

『土偶を読む』読了。土偶は「植物の精霊」を人体化したものだという斬新な内容だった。トチの実もオニグルミの実も縄文人の貴重な食料でそれをフィギュア化した土偶があったという。他にもイネやヒエといったの穀物、ハマグリなどの貝類も含まれるそうだが、現代人がそれらの中に精霊を見ることはもはやない。

Tuesday, December 21

かなあみに


かなあみにきのかたまりがのこつてるかれたさくらのせいれいみたいに

金網に木の塊が残つてる枯れた桜の精霊みたいに

二子玉川。金網に食い込んでいる木の塊。桜らしいが、おそらく枯れて本体は伐り倒されたのだろう。その太さと傾きから桜の樹形が偲ばれる。


しつぱいをのぞむからだがぐうぜんをよそほひこころをさいきどうする

失敗を望む躰が偶然を装ひ心を再起動する

いろいろな失敗。多くは偶然によって起きる。その偶然さえなければと悔しく思うが、その失敗がなければもっと酷いことが起こったかもしれない。失敗で元気になる人はいない。意気消沈は自分を取り戻す時間。

Monday, December 20

はだかぎの


はだかぎのかつらのおちばふとみればこうえふすすみてしんくとなりぬ

裸木のカツラの落葉ふと見れば紅葉進みて真紅になりぬ

烏山。広場のカツラの木もすっかり裸木になっている。足元を見ると真っ赤な落葉が何枚かある。カツラの葉だが落ちた後に緑から紅に変わったのだろうか。


えごのきのらくえふしだいにきにかはりえふみやくのみぞみどりのこれる

エゴノキの落葉次第に黃に変はり葉脈のみぞ緑残れる

エゴノキの葉も落葉が進んでいる。残っている葉は黄色だが、落ちている葉はまだ緑が残っている。おそらく緑のまま落葉して、クロロフィルを失って徐々に黄色に変わっていくのだろう。落葉の微妙な「もみじ」も味がある。

Sunday, December 19

はつごほり


はつごほりぼたんくさぎはとうしやうのゆびきるやうにくちばをおとす

初氷ボタンクサギは凍傷の指切るやうに朽葉を落とす

用賀。昨夜は初氷だったようだ。いつも見る道端のボタンクサギ。葉は黒く変色して凍傷にかかったような惨状。足元には落ちた葉が散らばっている。多くの草木が必死で寒さに耐えたにちがいない。

Saturday, December 18

いつぽんの


いつぽんのはだかぎなんのきだろうかたんていみたいにあしもとをみる

一本の裸木何の木だらうか探偵みたいに足元を見る

二子玉川。時間があったので河原に下りようとしたら前方に一本の裸木。いつも見ていたはずなのに急に気になった。何の木だろうか。幹や樹形では分からなかった。足元を探すとそれらしい落葉。風の冷たい午後。


たなごころてのこころならあはせればこころがかよふひとでもきでも

たなごころ手の心なら合はせれば心が通ふ人でも木でも

「たなごころ」は語源的には「手の心」。手のひらで命あるものにふれると「心」が通うような気がする。木の「手」は葉ではないだろうか。冬には落葉樹は手を引っ込め、常緑樹は手を握る。今日は整体の日。

Friday, December 17

げうさいの


げうさいのえがくゑすべてやくどうすひともけものもおばけもきまでも

暁斎の描く絵すべて躍動す人も獣もお化けも木までも

原宿の太田記念美術館で河鍋暁斎の「絵本」を観た。「北斎漫画」のような絵、いわば「暁斎漫画」だった。北斎とは違って描かれる対象がみな踊り狂うように躍動している。「ハイパー擬人化」の絵の世界。


くすのきのほんたうのかたちはどんなやらみきはいくつかえだどこまでか

クスノキの本当の形はどんなやら幹はいくつか枝どこまでか

明治神宮。木々がそれぞれ思いのままに枝を延ばしているが、あるクスノキは幹が4つに分かれて、枝はその下に道ができるほど横に延びている。もし、まわりに木がなければいったいどんな樹形になるのやら。

Thursday, December 16

ふみきりの


ふみきりのわきにはひとのなのついたぢざうぼさつとむらさきしきぶ

踏切のわきには人の名のついた地蔵菩薩とムラサキシキブ

烏山。小さな踏切のわきにある地蔵菩薩。いつも見ても手入れされている。人名がついているところをみると何かのいわれがあるのだろう。となりにはムラサキシキブが植えられていて枯れているがまだ実が少し残っている。このあたりには計画道路があるのだが、ここは大丈夫だろうか。


ばかなすとよばれるほどのばかでなしいぬほほづきはきやうじんなくさ

バカナスと呼ばれるほどのバカでなしイヌホウズキは強靭な草

線路脇の道。スキマを見つけてしっかり花をつけているイヌホウズキ。ナス科。有毒で強靭な雑草で人を悩ませるので「バカ」ナスとか「イヌ」ホウズキと蔑称される。草木たちには関係のない話。(後日見てみるとその姿がなかった。抜き取られてもまた再生するはず)

Wednesday, December 15

はいをくの


はいをくのかべにかいまでせりあがるやつではなさくしにどきしるや

廃屋の壁二階までせり上がるヤツデ花咲く死に時知るや

烏山。廃屋の壁にヤツデがよじ登るように丈を延ばして花をつけている。こんなに自由に育ったヤツデは初めて見た。これからも定期観察しようと思ったのだが、近くに掲示板があってどうやらここは計画道路に当たっているらしい。近くでは工事も始まっている。この木もやがて伐られてしまうようだ。残念至極。


かきのみにむらがりさわぐむくどりのたぜいにぶぜいでひよどりよれず

柿の実に群がり騒ぐムクドリの多勢に無勢でヒヨドリ寄れず

柿の実にムクドリが群がって騒がしい。近くでヒヨドリが一羽が威嚇の声を上げているが、たぶん近寄れないのであろう。乱暴者もカタなし。

Tuesday, December 14

ふゆのあめに


ふゆのあめにぬれるはなばななぜきみがこんなところにゐるのかかんな

冬の雨に濡れる花々なぜ君がこんなところにゐるのかカンナ

今日は本格的な冬の雨。サザンカやスイセンなど冬の花も濡れて寒さに耐えている。ところがある家の玄関に一本のカンナがぽつんと立って花を咲かせている。他のカンナはすでに冬支度に入ったはずなのに。

Monday, December 13

へいかとは


へいかとはひさしくおあひしませんがごきげんうるはしうくわうていだりあ

陛下とは久しくお会ひしませんがご機嫌うるはしう皇帝ダリア

近所で紫色の花を高いところにつけている植物を見つけた。皇帝ダリアだ。私にとって彼の所在地は藤沢の長久保公園。サイクリングでよく行ったのは何年前だろうか。


かざりかとみあげるあかいみすずなりのいいぎりのあるくわいぐわけうしつ

飾りかと見上げる赤い実鈴なりのイイギリのある絵画教室

烏山あたりを歩いていたら赤い実が鈴なりになっている建物があった。近づいてみると絵画教室らしい。こんなにみごとな実を見たのは初めてだった。きっと絵にも描かれるのだろう。

Sunday, December 12

さるすべり


さるすべりはだかのえだのしゆしたちはかぜまちとりまちふたまたかける

サルスベリ裸の枝の種子たちは風待ち鳥待ち二股かける

サルスベリの街路樹。すっかり葉を落とし種子がたくさん残っている木もあれば、ほとんど残っていない木もある。種子の翼を使って風に乗って飛ぶか、鳥に食われるのを待つか、それぞれの木の戦略があるのかな。


まどのそとまろにえのはなさいてちりしげりのはもおちあんねはのぞむ

窓の外マロニエの花咲いて散り繁りの葉も落ちアンネは望む

『アンネの木』という絵本を読んだ。アンネ・フランクが1942年7月から1944年8月まで暮らしたアムステルダムの隠れ家の裏庭には一本の木があった。アンネは窓からその木を毎日のように見ていたという。その木が何の木なのか知りたくてこの本を読んだのだが、マロニエ(セイヨウトチノキ)だった。その木は老朽化して倒れてしまいすでにそこにはない。しかし、その苗木は世界の各地に移植されていて日本にも来ているそうだ。四季ごとに変化するマロニエを見ながら、アンネはいつか外界に出られる日を夢見たにちがいない。マロニエとよく似たトチノキを見ながら、いつか「日記」を読み直してみたい。

Saturday, December 11

みあげると


みあげるといろはもみぢのははおちてしづえのよくくわはしゆつげきをまつ

見上げるとイロハモミジの葉は落ちて下枝の翼果は出撃を待つ

近所のイロハモミジ。葉はほぼ落ちていたが翼果が下の枝にはまだたくさん残っている。飛び立つための風を待っているのだろう。

Friday, December 10

がいとうの


がいとうのもとのすきまはざつさうのしまとしつてかすいせんしめる

街灯の元のスキマは雑草のシマと知つてかスイセン占める

街灯の元はいろいろな雑草がスキマを占めている。ところが、そこをスイセンの茎たちが占拠していた。だれかが球根を植えたのだろうか。


たうひんをかはになげこむせうねんもやがておとなのあくいにそまる

盗品を川に投げ込む少年もやがて大人の悪意に染まる

『雲をつかむ話』を読む。読み終えた後、頭がムズムズする感じ。興味深いキャラクターの中で一番印象に残ったのは、大人の傷つきそうなことを瞬時に見抜いて口にする少年だ。上品な顔立ちをしているくせに大人たちに平気で下品な口をきく少年。どんなことを言ってるかを知りたい人は本を読んでほしいが、ある種の畏敬の念を抱くのは私だけ?この少年の話をもっと読みたかった。他人の郵便受けから物を盗んではエルベ川に投げ込む少年(と父親)も気になった。それ以外の登場人物たちも見果てぬ夢のように気になる話だった。

Thursday, December 9

こうえふの


こうえふのいけがきつきぬけはなをだすひめじよおんまだまだかれませんよと

紅葉の生垣突き抜け花を出すヒメジョオンまだまだ枯れませんよと

ドウダンツツジの生垣。その中を突き抜けてヒメジョオンの花が咲いている。生垣の中が暖かいのだろうか。たぶん生垣の葉が落ちるまでの元気。


いけがきのはにとまつてるるりしじみるりいろみたいがとぶけはいなく

生垣の葉に止まつてるルリシジミ瑠璃色見たいが飛ぶ気配なく

生垣の葉の先に小さなシジミチョウ。たぶんルリシジミ。羽を広げるとその瑠璃色が見られるのだが、一向に動く気配がない。凍蝶か。

Wednesday, December 8

けさのんだ


けさのんだびたみんえーのせいなのかいちやうのくわうえふやけにまぶしい

今朝飲んだビタミンAのせいなのかイチョウの黄葉やけに眩しい

サプリメントの効果というのはなかなか実感できないのだが、私の場合ビタミンAは別格で、飲むと色が鮮やかに見えるようになるようだ。


あめにちるいちやうのらくえふふぜいありなどといふひとさうぢしたら

雨に散るイチョウの落葉風情ありなどと言ふ人掃除したら

落葉があるところには掃除人あり。掃いても掃いても落ちてくる落葉は面倒なもの。とりわけ雨後のイチョウの葉は路面にこびりついて大変らしい。

Tuesday, December 7

かせつろの


かせつろのびにーるのなかぬくぬくとめらんぽじうむまだあきのはな

仮設路のビニールの中ぬくぬくとメランポジウムまだ秋の花

下北沢駅前の仮設路。遮蔽ビニールの囲い中の気になっていた黄色い花。調べてみるとメランポジウムという園芸種らしい。花期は10月までだが、まだ花が残っていたのは温室効果のためか。幸運な奴よのう。


つひやしたじかんのぶんだけはなれがたいきつねよそれがみえないくさり

費やした時間の分だけ離れがたいキツネよそれが見えない鎖

バンド・デシネ版の『星の王子さま』を読んだ。その中でキツネが星の王子さまに自分を飼い慣らしてほしいと頼む場面がある。世話をした時間が長ければ長いほど、その困難が大きければ大きいほど離れがたくなる。人間でも動物でも同じことだろうが、人間はその感情に「愛」という名前をつけた。BD版の絵はシュールな感じで日本人好みのメルヘンチックな世界ではなかったが、生の感情(たとえば泣くシーンとか)のインパクトが強烈。

Monday, December 6

あきちには


あきちにはゑのころはらもくさもなくすでにみえないたてものがある

空地にはエノコロ原も草もなくすでに見えない建物がある

烏山あたり。久しぶりにエノコログサが繁茂する空地に行って見るとエノコログサも他の草もすっかり刈り取られていた。しかもその敷地のとなりにあったアオギリの姿もない。その大きな葉が空地にはみ出ていたからだろうか。その空地にはすでに何かの建築物がうっすらと存在し始めているように見えた。

Sunday, December 5

かれえだに


かれえだにからすうりのみぶらさがるくさつたあとこそしようぶのときと

枯れ枝にカラスウリの実ぶら下がる腐つた後こそ勝負の時と

用賀あたり。クワの枯れ枝に絡みついているカラスウリの実。それぞれ色づいているが鳥が食べる気色はない。その実が腐って中の種子が出てきたときに、その形がカマキリの頭に似ているので鳥が食べるのだという。なんともまわりくどい種子散布法だが、それが理にかなっているのだろう。

Saturday, December 4

こはるびを


こはるびをせなかにうけてぐちをきくわたしはそつとふぢだなをみる

小春日を背中に受けて愚痴を聞く私はそつと藤棚を見る

兵庫島のベンチで。同じ立場であればその愚痴に私も心が動いたであろう。愚痴は悪口ではないが、やはりどこかでそれは止めなければならない、無限のループに陥る前に。枯れかかった藤棚をそっと見上げた。


うまれてもひたすらたへてしゆしのこすそれもいつしやうなづなのやうに

生まれてもひたすら耐へて種子残すそれも一生ナズナのやうに

『したたかな植物たち』を読む。ナズナは、秋冬はロゼットで地面に張り付いて寒風に耐え、春になると大急ぎで茎を天に伸ばし花を咲かせ種子を残してあっという間に消えていく。短い波乱の一生だという。(個体によっては秋まで花をつけているノンビリ屋さんもいるらしいが・・)

Friday, December 3

おちばはき


おちばはきなれぬさぎやうをてつだふとゆびにまめできつぶれてをはる

落葉掃き慣れぬ作業を手伝ふと指にマメでき潰れて終る

簡単にできると思った落ち葉掃きだが、使い慣れない竹箒の取り扱いに手こずる。よけいな力が入るからか、あるいは指がやわになっているのか早速マメができてすぐにつぶれてしまった。やれやれ。

Thursday, December 2

ひよどりは


ひよどりはけんくわがだいすきけふもまたはだかのいちやうでなはばりあらそひ

ヒヨドリは喧嘩が大好き今日もまた裸のいちやうで縄張り争ひ

ヒヨドリはあの甲高い声でよくケンカをしている。裸のイチョウの木で二羽のヒヨドリが必死で縄張り争いしているが、その場所を死守する価値があるのだろうか。闘争のための闘争?

Wednesday, December 1

いらつしやいと


いらつしやいとうきつりぼくはかきねからとびでてあかいちやうちんつるす

いらつしやいとウキツリボクは垣根から飛び出て赤い提灯吊るす

垣根のドウダンツツジが紅葉している。その上にウキツリボクが飛び出して大きな葉のもとから赤い提灯のような花をぶら下げている。何だか呼ばれているみたいな。


らくらいとわからずめがさめあたふたとそとみるまさかきよじんのてんたう?

落雷と分からず目が覚めあたふたと外見るまさか巨人の転倒?

昨夜は激しい雷雨。最初、落雷の音が何の音か分からなかった。何か強大なものが落ちてきたように聞こえた。巨人も高齢になると転倒リスクもハンパじゃないよなあなどと思いながらまたベッドへ。