Friday, September 30

ブラシノキの花


九月尽秋を残暑が押し退けてブラシノキの花赤々と咲く


蘆花恒春園。水無川の暗渠が都立公園の南側を通っている。

園内で咲いていたブラシノキの花。秋に咲く花もあるようだ。

イメージは秋より残暑かな?

Thursday, September 29

ヘクソカズラの花


屎葛その花まじまじ見てみると赤紫の傷口みたい


ヘクソカズラの花。酷い名前だが、万葉の昔から「屎葛」と呼ばれていたようだ。

さうけふに延(は)ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ

さうけふ(そうきょう)とはジャケツイバラ。ヘクソカズラのように強くたくましく宮仕えしよう、みたいな歌。

何となくヤケクソな決意のようにも聞こえるが…。

臭いはともかくその花もよく見ると流血めいていて不吉ではないか。

キンモクセイの花


香りから入らず花から花見ると金木犀もそれなりに花


例年だとその強い香りに気づくキンモクセイの花。今年はなぜかいつもの緑地でばったりと遭遇。トイレの横に植えられていた。

特に強い感興を催す花ではないが、君も花なんだなあと妙に納得した。

Wednesday, September 28

ヤマブキの花


狂い花とは失礼な山吹よ空気なんかは読まずに咲けよ


緑道の植え込みで咲いていたヤマブキの花。数は2つか3つぐらい。八重の花もあった。

いわゆる狂い花とか返り花とかいうのだろうが、勝手花とかでよくない?

Tuesday, September 27

ソケイの花


この白に蕾の紅を潜ませているのだろうか素馨の花は


暗渠沿いの人家の垣根に咲いていた。詳しい園芸種名は分からないが、とりあえずソケイ(素馨)の花としておく。

薄紅色のつぼみの色はどこに消えてはしまうのか不思議。

花よりつぼみ。

Monday, September 26

クズの蕾


花よりもつぼみに造化の妙を見るたとえば葛の色づくつぼみ


見ているようであまり見ないクズの花。たまたまその花を見つけたので近寄って見た。

花は私にはアクが強すぎたようで、むしろ薄紫のつぼみの方に心が惹かれた。

すべて幼いものは可愛い?

Sunday, September 25

クズクビボソハムシ


向かうところ敵なしどこでも繁茂する葛の葉無惨天敵現る


ぎょっとする光景。無敵の雑草と思っていたクズが無残の姿に。

クズの葉を大好物とするこの虫はクズクビボソハムシ(続けて3回言えますか?)というらしい。

中国から日本に侵入したハムシで、都内では2016年にはじめての確認されたという。食い尽くしたらどうするのだろうか?

トレニアの花


よく見ると花べんの中で熱烈に雄しべどうしがキスするトレニア


台風一過の秋空で都内も残暑を感じさせる一日となった。

用賀の緑地。植え込みにトレニアの花が咲いている。可愛らしい花。

後で撮った写真を見ると花べんの中で雄しべどうしがまるでキスするようにくっついている。

どんな仕組みでこうなるのやら…

Friday, September 23

白ヒガンバナ


急な雨にどんどん行くと暗がりに囁くように白彼岸花


台風の影響らしくまた連休は雨になりそうだ。

時おり雨脚が強くなる中を歩いていたら人家の植え込みでヒガンバナたちが咲いていた。

暗くなると赤よりも白い方が不気味な感じがする。

そういえば今日は彼岸の中日。

Thursday, September 22

『あくてえ』


ばばあとかじじいとかいう悪態は天に唾吐くように吐こうぜ



『あくてえ』(山下紘加)を読んで。

文学的な創作だとは分かっているが、どうしても現実に引き寄せて考えたくなる作品。

こんな身勝手な老婆(ゆめは心の中ではばばあと呼んでいる)もきいちゃん(ゆめの母親)のような人のいい女性も現実にはあまりいないだろうと思う。

しかし案外きいちゃんのように困った事態を後先のことも考えずに引き受けてしまう人はいるのではないか。

地獄への道は善意が敷き詰められているというが、きいちゃんのような善意の人がこの世の地獄も作り出しているのかもしれない。

きいちゃんが出戻ってきた老婆(彼女にとっては元義母でしかないのだが、老婆が勝手に娘だと主張している)を知らないと拒絶すれば、ゆめも母と娘の穏やかな暮らしを送れたはず。

小説の最後では、甲斐性のない、すぐに面倒から逃げ出す父親(離婚して別の家庭を持っている)は借金を抱えて老婆(本当は自分が面倒を見なければいけない母親)の生活費も払えなくなっている。

懸命に介護をしてきたきいちゃんも過労で寝込んでしまった。

このわがまま放題に暮らしてきた老婆をいったい誰が面倒を見るというのだろうか。

ゆめしかいないのではないか。20歳になったばかりで、やっと派遣社員から正社員になれた彼女のささやかな幸福はどうなってしまうのか。

この先この老婆が何年生きるか分からないが、百歳(現在90歳)ぐらい平気で突破しそうな勢い。

老婆にとって孫の悪態などなんてことない。談話の一種ぐらいとでも思っているのだろう。

何だかんだ言ってきいちゃんとゆめを手球に取ってうまく世話をさせているとしか思えない。

読めば読むほどゆめと一緒に老婆に悪態をつきたくなってくる。

ふつうの小説だと、この老婆が急にぽっくり逝って、最後は悲喜交交の大団円となるのだが、作者はそんな微温的な「小説的結末」を認めたくなかったのだろう。

(でも芥川賞は取れたかもしれないね)

Wednesday, September 21

ジンジャーリリー


暗渠道たどれば路上園芸展ジンジャーリリーの花なども咲く


いつも歩いている暗渠の緑道。高速道路下で道が途切れている。

今日は、さらにその先の道を求めて歩いてみた。道は狭くなって、確かにかつて川が流れていた感じがした。

人家の前(裏)にはいわゆる路上園芸。りっぱなジンジャーリリーの花が咲いていた。

暗渠には路上園芸がよく合う。

この緑道どこまで続く途切れてはまた現れる幻の川

Tuesday, September 20

トキワネム


濡れた花何やら色気のようなもの出しているのかふらふらと寄る


台風の影響で強い雨が降ったり止んだりの一日。

いつもの通り道でネムノキの花に気づいた。季節が違うなと思ったらトキワネムの花らしい。

雨滴がまだ残っているが、濡れた花もそれなりに趣きがある。

色気とは生命力?


Monday, September 19

ニラの花


万葉の娘もニラの花よりか若い男に気持ちもそぞろ


万葉時代から歌に詠まれていたという。東歌に1首。「くくらみ」はニラのこと。「きはつく」は地名らしいが、音に「ソワソワ感」がある。

きはつくの岡のくくみら我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね

「きわつくの岡にニラを摘みに来たけれど、カゴいっぱいにならないね」「じゃ、あの方と一緒にお摘みなさいよ、うふふ」

いつの時代も花より、いい男。

Sunday, September 18

『くるまの娘』


子は親を選べず未完の親のもと子どもは未完の子となる連鎖


『くるまの娘』(宇佐見りん)を読んで。

正直、読んでいて辛くて途中で読むのをやめようと思った作品。

主人公のかんこは親から肉体的・精神的に暴力をふるわれている高校生。学校には保健室登校している。

兄と弟はそんな親に見切りをつけてすでに家を出ているが、かんこはかろうじて家にとどまっている。

かんこに暴力をふるう父親は、自分が受けた虐待体験を子どもたちに擬態語(ドカーン、ボコーン、エーンなど)でしか語れない。

しかし小説の最後で彼は自分の傷をかんこに語りながら「なんで生きてきちゃったんだろうな」とつぶやく。

運転席にいた父親が激情してアクセルを踏み込めば自分たちも近くにいる歩行者も危険だということをかんこは感じる。

しかし父親は一線を越えることはなかった。

「自己責任論」が覆い尽くす日本の社会。<生きるか・死ぬか>の最後の一線で踏みとどまっている人がたくさんいるにちがいない。

最近、ニュースになる「最強の人」たちもその一線で躊躇ったときに彼(女)らの言葉を聞いてくれる人(家族や友人など)がいればその人生も変わったかもしれない。

アベマテレビで、そういう最後の一線で迷う人たちの電話相談をしている女性がこんな話をしていた。

「女性の相談者は、自分のことを語っているうちに落ち着いてくる人が多いが、男性は<原因>が見つからないと怒りを収められない(人が多い)」と。

かんこの父親は、母親の死後に彼女がきょうだいの中で自分のアルバムだけ作っていなかったことを知ってショックを受ける。

彼は、母親のえこひいきにあらためて絶望するわけだが、それは誰からもいじめられたことがないと豪語する彼が誰にも見せたくなかった心の傷だったのだろう。

それを娘にきちんと言葉で語れたところに彼自身の歪んだ人生の「原因」を見つけたかもしれない。

そしてそれを引き出したのが、かんこの、<遠からず・近からず>の「くるま暮らし」だったのではないか。

「くるま」が家族の絆であり柵であったとするならば、かんこは最後までそこにとどまって、それをひとり守ろうとしたという読み方もできる。

こういった共依存関係はできるだけ早く清算して、それぞれが自分の行動に責任を持って自立した大人にならなくてはいけない、というのが世間の正解かもしれないが…

Friday, September 16

キバナコスモス


葉っぱではなく花びらを食べてるの?こんな芋虫増えたら困る


キバナコスモスの花びらにイモムシ。何をしているのか分からなかったが、後で調べるとどうやら花びらを食べているらしい。

オオタバコガという蛾の幼虫らしく、広食性で葉も花も食べるようだ。

他にはあまりいないようだが、花を愛でる人にとっては恐るべき害虫。

困るガー😥

Wednesday, September 14

タマスダレ


この花を見るとつい出るあの口上、アさて南京玉すだれぇー


タマスダレの花があちこちで咲き始めている。初夏にも咲いていたと思うが、今咲くのは秋咲き品種らしい。

それにしてもこの命名はいかがなものか。どうしてもあの伝統芸を連想してしまうのは私だけではないだろう。

アさて、さて、さて・・・

Tuesday, September 13

カラスウリの実


花も終わり首尾よく結実したんだねカラスウリの実ゆっくり熟せ

首尾よく結実したカラスウリの実。これからだんだん熟して太くなり、赤くなっていく。

こちらは先行している実。

のんびり行こうよ。誰も取って食わないから(相当まずいらしいし😖)


(追記)
数日後見ると緑道の植込み上に繁茂していたこのカラスウリは完全に除草されていた。業者が入ったようだ。😥

追善供養(?)にその実と花を載せておこう。一番早熟だった実。


花は夜の9時頃撮影したもの。

Sunday, September 11

アカボシゴマダラ


鮮やかなアカボシゴマダラぶっそうな放蝶ゲリラが裏にいるとか


用賀の緑地。カシワの葉に隠れるように止まっていた蝶。

赤い模様が鮮やか。見たことない蝶だなと思って調べてみると、アカボシゴマダラという中国原産の蝶らしい。

マニアが藤沢あたりで放蝶した蝶が首都圏に広がっているそうだ。

生態系にも影響があるということで、要注意外来生物に指定されている。

「放蝶ゲリラ」という物騒な言葉は、蝶たちではなく放蝶した人たちのことだろう。

逃げ出したのではなく意図的に放したということらしいが、どんなものか?

Friday, September 9

スペアミント


この夏は花も香りもなおざりにしていたスペアミントを惜しむ


いつもの通り道にひと夏ずっと咲き続けていたスペアミント。

今日見るとも花もそろそろ終わりが近づいている様子。

ときに黒いのは何の虫?

Thursday, September 8

ゴーヤーの花


心持ちゆっくり緑を見る余裕出てきてゴーヤーの花に実を知る


いつの通り道。黄色いゴーヤーの花が気になっていたが、いつも暑さを避けるために急いで通り過ぎていた人家の塀。

今日は、しばらく見てみると小さな花の奥の茂りの中にりっぱな実を発見。


食べごろ?

Wednesday, September 7

ヒガンバナ


一輪の花が季節の魁となってる雨にヒガンバナ咲く


秋雨のような雨が降っている午後。久しぶりにも通った小道でヒガンバナの花が一輪咲いているのを見た。

もうそんな季節かと思うとちょっとさびしい気持ちになった。

Sunday, September 4

ワタ


この暑さ残暑というべし庭園の木陰に並んでいる綿の花


用賀。いらか道。花の少ない夏も終わりこれから秋の花の季節。

オクラの花かと思ったのはワタの花。日なたは苦手のようだ。

季節は進む。


Friday, September 2

フヨウ


久々に歩く小道に濡れそぼつフヨウの花びらもう秋の雨


小雨の中、最近通らなかった小道を歩いているとフヨウの花が咲いていた。

台風の影響らしいが、降り続く雨はもう秋の雨だと思った。

今年の夏もオシマイ。

Thursday, September 1

テイカカズラ


隅田川歩いていたらあらなんでテイカカズラの花今咲くの?

隅田川の川沿いを歩いていたら白い花。テイカカズラの花だと思うが、たしか初夏に咲く花だったはず。

調べてみると、6月頃に一度花が咲いてから新しい枝が伸びてまた夏の終わりに花を咲かせるそうだ。

今夜は浅草で一泊するのでのんびりモード。あまり植物がない…

ホテルから。雲がずいぶん下まで降りてきている。スカイツリーの展望台から上がかすんでいる。400mぐらい?

夕方は雷雨でスカイツリーにも落雷があったが、避雷針構造で地中に誘導されていた。音もしない。

こちらはライトアップした吾妻橋。