Friday, December 31

かなあみに


かなあみにまつばいくつもはさまつてかぜにふかれておほみそかです

金網に松葉いくつも挟まつて風に吹かれて大晦日です

いよいよ大晦日。寒いなか近くの本屋まで歩いていると金網にたくさんの松葉の又が挟まって風に吹かれている。なるほど金網が柵か。


しゆしじゆくすときまでちらずかれはたちかぜきてしゆしとさいごのたびへ

種子熟すときまで散らず枯葉たち風来て種子と最期の旅へ

『足元の小宇宙』を読む。著者の埴沙萠さんはすでに亡くなっているが、一生を植物研究に捧げた人物。ケヤキの枯葉はすぐに散らずに、種子が熟したときに枝から離れて、ひとかたまりになって羽の役割を果たして種子をできるだけ遠くに運ぶという。進化のしくみと言ってしまえばそれまでだが、我々の愛情ももとは単純な「しくみ」かもしれない。

Thursday, December 30

はやばやと


はやばやとらくえうすませてむくむくとはくもくれんはふゆめをおこす

早々と落葉済ませてむくむくとハクモクレンは冬芽を勃こす

近所の散歩道。まだ葉を残している木もあるが、ひとり冬芽を張らせているハクモクレン。何やら春に向けての意気込みが漲っている。

Wednesday, December 29

はかまゐり


はかまゐりうつはのかたちのこほりたちみづばでつどふたましゐみたいに

墓参り器の形の氷たち水場で集ふ魂みたいに

今日は家族で墓参り。墓前の湯呑の中が凍っていた。氷を捨てに行くと水場にいくつもの氷が散在。なんだか氷の社交場のように見えた。器の形の氷は、やがて水という無形にもどる。私たちの心も肉体という器で作られた氷のようなものかもしれない。

Tuesday, December 28

はだかぎの


はだかぎのこずゑにみどりのいのちありやどりぎみつけてだいきちとする

裸木の梢に緑の命ありヤドリギ見つけて大吉とする

冬の樹木観察の楽しみの一つは、ヤドリギを見つけること。なかなか見つけられなかったが、今日クヌギの裸木の梢にこんもりした緑を発見。よいお告げを聞いたような気分。

Monday, December 27

さやうなら


さやうならはなかたばみのはなぞのよさいごにさくはなみんなのはな

さやうならハナカタバミの花園よ最後に咲く花みんなの花

近所。ハナカタバミの花園。見てみるとこの寒さに葉はすっかりやられて変色し萎れつつある。中央で花が一、二輪弱々しく咲きかけている。

Sunday, December 26

こうばいの


こうばいのつぼみそろそろみえはじめどこにもゐるよけいわいのはな

紅梅の蕾そろそろ見え始めどこにもゐるよKYの花

用賀。生産緑地らしい一画。梅の木に赤い蕾がいくつも見えている。その中に何を勘違いしたのか花が一輪。まだちょっと早いかな。


びわのはなぢみでめだたぬはなだけどめじろはめろめろいりびたつてる

ビワの花地味で目立たぬ花だけどメジロはメロメロ入り浸つてる

大きなビワの木。目立たない花が上の方に咲いている。人は注目しないが、よほど蜜が美味なのか、メジロが何羽も来てしきりに花蜜を吸っている。メジロは繁る葉の中から出てきて蜜を吸ってはまた中に戻っていく。立ち止まって見ていないと分からない。あまり人通りがなくてよかった。

Saturday, December 25

なつかしの


なつかしのぷらたなすあゝよこえだにほじょぎそへられえうかいごなり

懐かしのプラタナス嗚呼横枝に補助木添へられ要介護なり

新宿御苑。久しぶりに見たプラタナス(モミジバスズカケノキ)。すっかり老木となって横枝に補助木が2本も添えられて何とか立っている。まだ実がいくつもぶら下がっているが、頑張って長生きしてほしい。


をんしつのきぎはかはらずかはりしはわかきひとらのなんともおほき

温室の木々は変はらず変はりしは若き人らの何とも多き

こちらも久しぶりの温室。建物が新しくキレイになっていた。中の木々はそれほど変わっていないが、若い人が驚くほど多い。そうか今日はクリスマスだなあ。それにしても若者が来るような場所ではなかったと思うのだが、時代が変わったんですねえ。

Friday, December 24

いしとりゐ


いしとりゐたけとまつのえゆははれてたけがうへでもしようちくといふ

石鳥居竹と松の枝結ははれて竹が上でも松竹と言ふ

等々力の神社。正月飾りか、竹と松の枝が大きな石鳥居に結わえ付けられている。来る正月にはこの神社にも参拝者が溢れかえるのだろう。


ばうねんくわいふえうふきふかにんげんはひとのまにゐてひとであるもの

忘年会不要不急か人間は人の間にゐて人であるもの

今日はサークルの忘年会。二年ぶりである。数日前に亡くなった人の話も出た。寿命かもしれないが、あるいはコロナ自粛がなければ今でも元気でいられたかもしれない、などと思ってしまう。人間らしいとは、人の中で活動することではないだろうか。人らしいとは言わない。

Thursday, December 23

でんしよくを


でんしよくをまかれたしらかしぼこぼこにされたかのやうこぶびやうらしい

電飾を巻かれたシラカシぼこぼこにされたかのやうこぶ病らしい

烏山の街路樹。シラカシらしい木に電飾が巻きつけられている。ある木の幹がこぶだらけになっている。どうやらシラカシ幹こぶ病と病気らしいのだが、なにか手当はないのだろうか。


ふじさんがみえなかつたねといふこゑすゑんじらわたるちいさなふみきり

富士山が見えなかつたねと言ふ声す園児ら渡る小さな踏切

烏山の踏切。園児らを連れた保母さんらしき女性が「今日は富士山が見えなかったね」と言っている。この線路の先に富士山が見えるのだろうか。方角的にはそうだ。今度晴れている日に見てみよう。

Wednesday, December 22

ほとけのざ


ほとけのざまだはなつけてるせんろわきかべありかぜなくひあたりもよく

ホトケノザまだ花つけてる線路脇壁あり風なく日当たりもよく

烏山。線路脇に背の低い壁があってその前がホトケノザの群生地となっている。まだ花をつけているものもある。不動産ではないが、雑草には夢のような立地条件。ただ残念ながらここは計画道路に当たっている。


せいれいのじだいはおはりとちのみもおにぐるみのみもただものとなる

精霊の時代は終りトチの実もオニグルミの実も唯物となる

『土偶を読む』読了。土偶は「植物の精霊」を人体化したものだという斬新な内容だった。トチの実もオニグルミの実も縄文人の貴重な食料でそれをフィギュア化した土偶があったという。他にもイネやヒエといったの穀物、ハマグリなどの貝類も含まれるそうだが、現代人がそれらの中に精霊を見ることはもはやない。

Tuesday, December 21

かなあみに


かなあみにきのかたまりがのこつてるかれたさくらのせいれいみたいに

金網に木の塊が残つてる枯れた桜の精霊みたいに

二子玉川。金網に食い込んでいる木の塊。桜らしいが、おそらく枯れて本体は伐り倒されたのだろう。その太さと傾きから桜の樹形が偲ばれる。


しつぱいをのぞむからだがぐうぜんをよそほひこころをさいきどうする

失敗を望む躰が偶然を装ひ心を再起動する

いろいろな失敗。多くは偶然によって起きる。その偶然さえなければと悔しく思うが、その失敗がなければもっと酷いことが起こったかもしれない。失敗で元気になる人はいない。意気消沈は自分を取り戻す時間。

Monday, December 20

はだかぎの


はだかぎのかつらのおちばふとみればこうえふすすみてしんくとなりぬ

裸木のカツラの落葉ふと見れば紅葉進みて真紅になりぬ

烏山。広場のカツラの木もすっかり裸木になっている。足元を見ると真っ赤な落葉が何枚かある。カツラの葉だが落ちた後に緑から紅に変わったのだろうか。


えごのきのらくえふしだいにきにかはりえふみやくのみぞみどりのこれる

エゴノキの落葉次第に黃に変はり葉脈のみぞ緑残れる

エゴノキの葉も落葉が進んでいる。残っている葉は黄色だが、落ちている葉はまだ緑が残っている。おそらく緑のまま落葉して、クロロフィルを失って徐々に黄色に変わっていくのだろう。落葉の微妙な「もみじ」も味がある。

Sunday, December 19

はつごほり


はつごほりぼたんくさぎはとうしやうのゆびきるやうにくちばをおとす

初氷ボタンクサギは凍傷の指切るやうに朽葉を落とす

用賀。昨夜は初氷だったようだ。いつも見る道端のボタンクサギ。葉は黒く変色して凍傷にかかったような惨状。足元には落ちた葉が散らばっている。多くの草木が必死で寒さに耐えたにちがいない。

Saturday, December 18

いつぽんの


いつぽんのはだかぎなんのきだろうかたんていみたいにあしもとをみる

一本の裸木何の木だらうか探偵みたいに足元を見る

二子玉川。時間があったので河原に下りようとしたら前方に一本の裸木。いつも見ていたはずなのに急に気になった。何の木だろうか。幹や樹形では分からなかった。足元を探すとそれらしい落葉。風の冷たい午後。


たなごころてのこころならあはせればこころがかよふひとでもきでも

たなごころ手の心なら合はせれば心が通ふ人でも木でも

「たなごころ」は語源的には「手の心」。手のひらで命あるものにふれると「心」が通うような気がする。木の「手」は葉ではないだろうか。冬には落葉樹は手を引っ込め、常緑樹は手を握る。今日は整体の日。

Friday, December 17

げうさいの


げうさいのえがくゑすべてやくどうすひともけものもおばけもきまでも

暁斎の描く絵すべて躍動す人も獣もお化けも木までも

原宿の太田記念美術館で河鍋暁斎の「絵本」を観た。「北斎漫画」のような絵、いわば「暁斎漫画」だった。北斎とは違って描かれる対象がみな踊り狂うように躍動している。「ハイパー擬人化」の絵の世界。


くすのきのほんたうのかたちはどんなやらみきはいくつかえだどこまでか

クスノキの本当の形はどんなやら幹はいくつか枝どこまでか

明治神宮。木々がそれぞれ思いのままに枝を延ばしているが、あるクスノキは幹が4つに分かれて、枝はその下に道ができるほど横に延びている。もし、まわりに木がなければいったいどんな樹形になるのやら。

Thursday, December 16

ふみきりの


ふみきりのわきにはひとのなのついたぢざうぼさつとむらさきしきぶ

踏切のわきには人の名のついた地蔵菩薩とムラサキシキブ

烏山。小さな踏切のわきにある地蔵菩薩。いつも見ても手入れされている。人名がついているところをみると何かのいわれがあるのだろう。となりにはムラサキシキブが植えられていて枯れているがまだ実が少し残っている。このあたりには計画道路があるのだが、ここは大丈夫だろうか。


ばかなすとよばれるほどのばかでなしいぬほほづきはきやうじんなくさ

バカナスと呼ばれるほどのバカでなしイヌホウズキは強靭な草

線路脇の道。スキマを見つけてしっかり花をつけているイヌホウズキ。ナス科。有毒で強靭な雑草で人を悩ませるので「バカ」ナスとか「イヌ」ホウズキと蔑称される。草木たちには関係のない話。(後日見てみるとその姿がなかった。抜き取られてもまた再生するはず)

Wednesday, December 15

はいをくの


はいをくのかべにかいまでせりあがるやつではなさくしにどきしるや

廃屋の壁二階までせり上がるヤツデ花咲く死に時知るや

烏山。廃屋の壁にヤツデがよじ登るように丈を延ばして花をつけている。こんなに自由に育ったヤツデは初めて見た。これからも定期観察しようと思ったのだが、近くに掲示板があってどうやらここは計画道路に当たっているらしい。近くでは工事も始まっている。この木もやがて伐られてしまうようだ。残念至極。


かきのみにむらがりさわぐむくどりのたぜいにぶぜいでひよどりよれず

柿の実に群がり騒ぐムクドリの多勢に無勢でヒヨドリ寄れず

柿の実にムクドリが群がって騒がしい。近くでヒヨドリが一羽が威嚇の声を上げているが、たぶん近寄れないのであろう。乱暴者もカタなし。

Tuesday, December 14

ふゆのあめに


ふゆのあめにぬれるはなばななぜきみがこんなところにゐるのかかんな

冬の雨に濡れる花々なぜ君がこんなところにゐるのかカンナ

今日は本格的な冬の雨。サザンカやスイセンなど冬の花も濡れて寒さに耐えている。ところがある家の玄関に一本のカンナがぽつんと立って花を咲かせている。他のカンナはすでに冬支度に入ったはずなのに。

Monday, December 13

へいかとは


へいかとはひさしくおあひしませんがごきげんうるはしうくわうていだりあ

陛下とは久しくお会ひしませんがご機嫌うるはしう皇帝ダリア

近所で紫色の花を高いところにつけている植物を見つけた。皇帝ダリアだ。私にとって彼の所在地は藤沢の長久保公園。サイクリングでよく行ったのは何年前だろうか。


かざりかとみあげるあかいみすずなりのいいぎりのあるくわいぐわけうしつ

飾りかと見上げる赤い実鈴なりのイイギリのある絵画教室

烏山あたりを歩いていたら赤い実が鈴なりになっている建物があった。近づいてみると絵画教室らしい。こんなにみごとな実を見たのは初めてだった。きっと絵にも描かれるのだろう。

Sunday, December 12

さるすべり


さるすべりはだかのえだのしゆしたちはかぜまちとりまちふたまたかける

サルスベリ裸の枝の種子たちは風待ち鳥待ち二股かける

サルスベリの街路樹。すっかり葉を落とし種子がたくさん残っている木もあれば、ほとんど残っていない木もある。種子の翼を使って風に乗って飛ぶか、鳥に食われるのを待つか、それぞれの木の戦略があるのかな。


まどのそとまろにえのはなさいてちりしげりのはもおちあんねはのぞむ

窓の外マロニエの花咲いて散り繁りの葉も落ちアンネは望む

『アンネの木』という絵本を読んだ。アンネ・フランクが1942年7月から1944年8月まで暮らしたアムステルダムの隠れ家の裏庭には一本の木があった。アンネは窓からその木を毎日のように見ていたという。その木が何の木なのか知りたくてこの本を読んだのだが、マロニエ(セイヨウトチノキ)だった。その木は老朽化して倒れてしまいすでにそこにはない。しかし、その苗木は世界の各地に移植されていて日本にも来ているそうだ。四季ごとに変化するマロニエを見ながら、アンネはいつか外界に出られる日を夢見たにちがいない。マロニエとよく似たトチノキを見ながら、いつか「日記」を読み直してみたい。

Saturday, December 11

みあげると


みあげるといろはもみぢのははおちてしづえのよくくわはしゆつげきをまつ

見上げるとイロハモミジの葉は落ちて下枝の翼果は出撃を待つ

近所のイロハモミジ。葉はほぼ落ちていたが翼果が下の枝にはまだたくさん残っている。飛び立つための風を待っているのだろう。

Friday, December 10

がいとうの


がいとうのもとのすきまはざつさうのしまとしつてかすいせんしめる

街灯の元のスキマは雑草のシマと知つてかスイセン占める

街灯の元はいろいろな雑草がスキマを占めている。ところが、そこをスイセンの茎たちが占拠していた。だれかが球根を植えたのだろうか。


たうひんをかはになげこむせうねんもやがておとなのあくいにそまる

盗品を川に投げ込む少年もやがて大人の悪意に染まる

『雲をつかむ話』を読む。読み終えた後、頭がムズムズする感じ。興味深いキャラクターの中で一番印象に残ったのは、大人の傷つきそうなことを瞬時に見抜いて口にする少年だ。上品な顔立ちをしているくせに大人たちに平気で下品な口をきく少年。どんなことを言ってるかを知りたい人は本を読んでほしいが、ある種の畏敬の念を抱くのは私だけ?この少年の話をもっと読みたかった。他人の郵便受けから物を盗んではエルベ川に投げ込む少年(と父親)も気になった。それ以外の登場人物たちも見果てぬ夢のように気になる話だった。

Thursday, December 9

こうえふの


こうえふのいけがきつきぬけはなをだすひめじよおんまだまだかれませんよと

紅葉の生垣突き抜け花を出すヒメジョオンまだまだ枯れませんよと

ドウダンツツジの生垣。その中を突き抜けてヒメジョオンの花が咲いている。生垣の中が暖かいのだろうか。たぶん生垣の葉が落ちるまでの元気。


いけがきのはにとまつてるるりしじみるりいろみたいがとぶけはいなく

生垣の葉に止まつてるルリシジミ瑠璃色見たいが飛ぶ気配なく

生垣の葉の先に小さなシジミチョウ。たぶんルリシジミ。羽を広げるとその瑠璃色が見られるのだが、一向に動く気配がない。凍蝶か。

Wednesday, December 8

けさのんだ


けさのんだびたみんえーのせいなのかいちやうのくわうえふやけにまぶしい

今朝飲んだビタミンAのせいなのかイチョウの黄葉やけに眩しい

サプリメントの効果というのはなかなか実感できないのだが、私の場合ビタミンAは別格で、飲むと色が鮮やかに見えるようになるようだ。


あめにちるいちやうのらくえふふぜいありなどといふひとさうぢしたら

雨に散るイチョウの落葉風情ありなどと言ふ人掃除したら

落葉があるところには掃除人あり。掃いても掃いても落ちてくる落葉は面倒なもの。とりわけ雨後のイチョウの葉は路面にこびりついて大変らしい。

Tuesday, December 7

かせつろの


かせつろのびにーるのなかぬくぬくとめらんぽじうむまだあきのはな

仮設路のビニールの中ぬくぬくとメランポジウムまだ秋の花

下北沢駅前の仮設路。遮蔽ビニールの囲い中の気になっていた黄色い花。調べてみるとメランポジウムという園芸種らしい。花期は10月までだが、まだ花が残っていたのは温室効果のためか。幸運な奴よのう。


つひやしたじかんのぶんだけはなれがたいきつねよそれがみえないくさり

費やした時間の分だけ離れがたいキツネよそれが見えない鎖

バンド・デシネ版の『星の王子さま』を読んだ。その中でキツネが星の王子さまに自分を飼い慣らしてほしいと頼む場面がある。世話をした時間が長ければ長いほど、その困難が大きければ大きいほど離れがたくなる。人間でも動物でも同じことだろうが、人間はその感情に「愛」という名前をつけた。BD版の絵はシュールな感じで日本人好みのメルヘンチックな世界ではなかったが、生の感情(たとえば泣くシーンとか)のインパクトが強烈。

Monday, December 6

あきちには


あきちにはゑのころはらもくさもなくすでにみえないたてものがある

空地にはエノコロ原も草もなくすでに見えない建物がある

烏山あたり。久しぶりにエノコログサが繁茂する空地に行って見るとエノコログサも他の草もすっかり刈り取られていた。しかもその敷地のとなりにあったアオギリの姿もない。その大きな葉が空地にはみ出ていたからだろうか。その空地にはすでに何かの建築物がうっすらと存在し始めているように見えた。

Sunday, December 5

かれえだに


かれえだにからすうりのみぶらさがるくさつたあとこそしようぶのときと

枯れ枝にカラスウリの実ぶら下がる腐つた後こそ勝負の時と

用賀あたり。クワの枯れ枝に絡みついているカラスウリの実。それぞれ色づいているが鳥が食べる気色はない。その実が腐って中の種子が出てきたときに、その形がカマキリの頭に似ているので鳥が食べるのだという。なんともまわりくどい種子散布法だが、それが理にかなっているのだろう。

Saturday, December 4

こはるびを


こはるびをせなかにうけてぐちをきくわたしはそつとふぢだなをみる

小春日を背中に受けて愚痴を聞く私はそつと藤棚を見る

兵庫島のベンチで。同じ立場であればその愚痴に私も心が動いたであろう。愚痴は悪口ではないが、やはりどこかでそれは止めなければならない、無限のループに陥る前に。枯れかかった藤棚をそっと見上げた。


うまれてもひたすらたへてしゆしのこすそれもいつしやうなづなのやうに

生まれてもひたすら耐へて種子残すそれも一生ナズナのやうに

『したたかな植物たち』を読む。ナズナは、秋冬はロゼットで地面に張り付いて寒風に耐え、春になると大急ぎで茎を天に伸ばし花を咲かせ種子を残してあっという間に消えていく。短い波乱の一生だという。(個体によっては秋まで花をつけているノンビリ屋さんもいるらしいが・・)

Friday, December 3

おちばはき


おちばはきなれぬさぎやうをてつだふとゆびにまめできつぶれてをはる

落葉掃き慣れぬ作業を手伝ふと指にマメでき潰れて終る

簡単にできると思った落ち葉掃きだが、使い慣れない竹箒の取り扱いに手こずる。よけいな力が入るからか、あるいは指がやわになっているのか早速マメができてすぐにつぶれてしまった。やれやれ。

Thursday, December 2

ひよどりは


ひよどりはけんくわがだいすきけふもまたはだかのいちやうでなはばりあらそひ

ヒヨドリは喧嘩が大好き今日もまた裸のいちやうで縄張り争ひ

ヒヨドリはあの甲高い声でよくケンカをしている。裸のイチョウの木で二羽のヒヨドリが必死で縄張り争いしているが、その場所を死守する価値があるのだろうか。闘争のための闘争?

Wednesday, December 1

いらつしやいと


いらつしやいとうきつりぼくはかきねからとびでてあかいちやうちんつるす

いらつしやいとウキツリボクは垣根から飛び出て赤い提灯吊るす

垣根のドウダンツツジが紅葉している。その上にウキツリボクが飛び出して大きな葉のもとから赤い提灯のような花をぶら下げている。何だか呼ばれているみたいな。


らくらいとわからずめがさめあたふたとそとみるまさかきよじんのてんたう?

落雷と分からず目が覚めあたふたと外見るまさか巨人の転倒?

昨夜は激しい雷雨。最初、落雷の音が何の音か分からなかった。何か強大なものが落ちてきたように聞こえた。巨人も高齢になると転倒リスクもハンパじゃないよなあなどと思いながらまたベッドへ。

Tuesday, November 30

なぜそんな


なぜそんなかたちかせいたかあわだちさうそのくきくらんくじやうにまがつてる

なぜそんな形かセイタカアワダチソウその茎クランク状に曲がつてる

いろんな葉が枯れて隠れていたものが見えてきた。あるセイタカアワダチソウの茎が、驚いたことにクランク状に曲がって立っている。どんな経緯があってその茎が曲がったのか気になる。いずれにしても逞しい奴だ。


そのもちのみきにあるもんやうはさるのおしりのあなそのもの

そのモチノキの幹にある文様は猿のお尻の穴そのもの

等々力。モチノキ科の木の幹はいろいろな模様があって面白い。そのモチノキの文様がどう見てもそう見えるのは私の心が汚れているからか?

Monday, November 29

いちめんの


いちめんのはなかたばみのはなのなかにもおちつかぬものありしきりにゆれる

一面のハナカタバミの花の中にも落ち着かぬものありしきりに揺れる

ハナカタバミの群生地、あるいは花壇。花がそれぞれいろんな向きに咲いている。ひとつだけ大きく揺れているものがあるが、地面だけに風の流れがあるのだろうか。


ひかうしはきよたいのなかからたましひをにがしてばらのもとへとかへす

飛行士は巨体の中から魂を逃してバラのもとへと還す

『最終飛行』を読む。あの「星の王子さま」の中の「バラ」はサン・テグジュペリの妻コンスエロのメタファーだったようだ。とすれば、作家の屈折した愛情と戦争がこの名作を作り上げたと言える。「星の王子さま」の世界は作家のイデアの世界だったのだろう。

Sunday, November 28

えきまへの


えきまへのいちやうなみきのみきなぜかおほくはおなじむきにかたむく

駅前のイチョウ並木の幹なぜか多くは同じ向きに傾く

見慣れた駅前のイチョウ並木。ふと見ると多くの幹が同じ方向に傾いているのに気づいた。日当たり?風向き?あるいはイチョウの勝手?


かくさたとへきよこうであるとおもつてもからだはきよこうのゆめからさめず

格差たとへ虚構であると思つても身体は虚構の夢から醒めず

『格差という虚構』読了。いくら格差が虚構だと言われてもその「虚構の夢」から醒めるのは容易ではない。それはある種の悟りのようなもの。人が格差から本当に解放されるのは、死の時か。

Saturday, November 27

なかまから


なかまからはなれてひとりさいてゐるすいせんくきがをれてもめげず

仲間から離れてひとり咲いてゐるスイセン茎が折れてもめげず

スイセンの花壇。まだ花はつけていないものばかりだが、離れて花をつけているものもいる。茎が弱かったのか、風に耐えられなかったのか、茎が折れて花は下向きになっていた。勇気ある先駆者。

Friday, November 26

うつくしき


うつくしきものはとまらずすすきはらにしびのなかでしろくかがよふ

美しきものは止まらず芒原西日の中で白く燿ふ

京王線で多摩川の鉄橋を渡るとき、ちょうど西日で河原のススキ原がえも言われず美しく輝いていた。一瞬の光景であるが美とはそういったものかもしれない。

Thursday, November 25

やまなみの


やまなみのむかうにしろいあたまだすふじさんよろしくおねがひします

山並みの向かうに白い頭出す富士さんよろしくお願ひします

八王子。気になっていた山並みの向こうの山はやはり富士山だった。冠雪した頭が少しだけ山際から出ているのでわかった。富士山を見つけると見守られている気分になる。まるで天然の社。

Wednesday, November 24

いちやうのき


いちやうのきくわうえふぐあひはくわんきやうかあるいはゐでんしはたまたぐうぜん?

イチョウの木黄葉具合は環境かあるいは遺伝子はたまた偶然?

病院の敷地のイチョウ並木。きれいに黄葉している。樹形も美しい。彼らの「成功」はどこから来るのか。環境か、遺伝子か、あるいは偶然か。そんなことを考えるのは、今読んでいる『格差という虚構』という本のせい。イチョウにも「格差」があるにちがいない。

Tuesday, November 23

こうゑんの


こうゑんのなんきんはぜはこうえふしわたしのなまへをよぶひとがゐる

公園のナンキンハゼは紅葉し私の名前を呼ぶ人がゐる

公園のナンキンハゼの紅葉が始まっている。見惚れていると突然名前を呼ばれた。ベンチのその人の声で何のためにここにいるのか思い出した。

Monday, November 22

つたのへい


つたのへいいちめんのははかれおちてはびこるつたはしんけいみたい

ツタの塀一面の葉は枯れ落ちて蔓延る蔦は神経みたい

いつもの通り道。キヅタに覆われた塀の家があるが、葉が枯れ落ちて塀に広がる蔓の広がりが見える。まるで塀それ自体の神経のように。

Sunday, November 21

そのあかは


そのあかはうちみのやうないろだけどさるすべりだつてもみぢするのだ

その赤は打ち身のやうな色だけどサルスベリだつて紅葉するのだ

夏から秋にかけて花をつけていたサルスベリも落葉の時期となった。見ると紅葉している葉もあるが、その色はどす赤い。アントシアニンが足りないのかもしれないが、紅葉は木全体を守る仕組みだ。人間の審美眼など知ったこっちゃない。


ふとみるとくろがねもちのしろいみきにともだちまーくのやうなめがある

ふと見るとクロガネモチの白い幹に「ともだちマーク」のやうな目がある

赤い実をつけているクロガネモチ。その白っぽい幹にはひっかき傷のようなラインが目につく。なかにはあの二十世紀少年の「ともだちマーク」の不気味な目のようなものがあって、見ていると「ともだち」にされそう。

Saturday, November 20

ろぜつとの


ろぜつとのなかからいつぽんくきがでてすましてさいてるたんぽぽのはな

ロゼットの中から一本茎が出てすまして咲いてるタンポポの花

近所の遊歩道。ふと見ると一本のセイヨウタンポポの花。「あれっ!まだタンポポの花が咲いてる」と思ったが、本人(草)は別に気にする様子もない。小春日和だしね。


ぎーぎーとねぢまくやうになくおながおねがひわざはひもたらさないで

ギーギーとネジ捲くやうに鳴くオナガお願ひ災ひもたらさないで

オナガは西日本にはいないということを知って改めて見てみる。評判の悪声は「ねじまき鳥」の鳴き声のようにも聞こえるが、きっと悪いことはもたらさない、ただのオナガだろう。

Friday, November 19

あんきよとは


あんきよとはみえないすいろそのうへのあをぎりしたからくちていく

暗渠とは見えない水路その上のアオギリ下から朽ちていく

世田谷は暗渠が多い。たいていその上は遊歩道になっている。たぶん地面は冷たいのだろう、アオギリの葉も下の方から色が変わって腐っていく。


つきをくふものはなんだらうげつしよくのあとのまんげつてかてかひかる

月を食ふものは何だらう月食の後の満月テカテカ光る

今夜は月食。満月のときに起こる現象だが、地球や太陽の位置など分からない昔の人はどう見ていたのだろうか。文字通り月が食われると思って「食」と言ったのか。食われても元の形に戻る満月は食えない月?

Thursday, November 18

るわんだの


るわんだのをかにひろがるきくのはなつまれてかとりせんかうとなる

ルワンダの丘に広がる菊の花摘まれて蚊取線香となる

テレビのワールドニュースでルワンダの丘に広がる白い花が映っていた。蚊取線香の材料となる除虫菊だ。花には強力な殺虫効果がある。貧しい地元民の貴重な収入源となっているそうだ。以前使っていた渦巻き形の蚊取線香も元はルワンダで咲いていた花かもしれない。

Wednesday, November 17

はをおとし


はをおとしさやのみだけのはなずはういつになつたらかれきになるか

葉を落とし莢の実だけのハナズオウいつになつたら枯れ木になるか

ずっと前から黒い莢の実をずらっと垂らしていたハナズオウ、久しぶりに見るとすっかり落葉。春には莢はなかったはずだが、いつ莢は落ちるのか気になる。

Tuesday, November 16

あちこちで


あちこちでみかけてきになるきみのなはほそばひいらぎなんてんだとか

あちこちで見かけて気になる君の名はホソバヒイラギナンテンだとか

あちこちの植栽でよく見る特徴的な黄色い花。気になっていたが、調べてやっとわかった。たぶん昔は知っていた名。

Monday, November 15

いつもみる


いつもみるえきのかきのきかきすべてかききゆきもりのかきものこさず

いつも見る駅の柿の木柿すべてかき消ゆ木守の柿も残さず

駅舎の窓の前に一本の柿の木。葉は落ちても柿の実は残っていたのに今日見るとその柿がすべてない。せめてひとつは残してほしかった。

Sunday, November 14

えきまへの


えきまへのもみぢばふうはみなみきをぐるぐるしばられでんしよくとなる

駅前のモミジバフウはみな幹をぐるぐる縛られ電飾となる

クリスマスが近づいてくるといろんな場所が電飾だらけとなる。夜は悪くはないのだが、昼間見るとなんとも興ざめな感じだ。

Saturday, November 13

しべりあの


しべりあのくろいたいやうさいごにはちのけのかよふひのでにかへる

シベリアの黒い太陽さいごには血の気の通ふ日の出に還る

神奈川県立近代美術館の香月泰男展を観に行った。「シベリア・シリーズ」は2004年に東京で観たことがあるのだが、それは完全なものではなかったようだ。今回最晩年の作品まで含めて観ることができて彼のライフワークがより完成形に近づいていたことを知った。一言で言うと絵に血の気が戻ったように感じた。なぜかホッとした。


まちなかとちがひうみべのつはぶきははもたくましくををしくみえる

街なかと違ひ海辺のツワブキは葉も逞しく雄々しく見える

葉山の浜辺で。やはりツワブキは海岸の植物だ。海辺では見違えるほど葉も太く丈も高い。ツワブキは香月泰男が好んで描いた花だという。

Friday, November 12

しよくぶつの


しよくぶつのこゑをきくことできたならざつさうぬくのもつらいだらうに

植物の声を聞くことできたなら雑草抜くのも辛いだろうに

テレビで植物の声が聞こえるという「スーパー造園師」の番組を見た。そういう「心的現実」に生きる人はけっこう辛いのではないだろうか。幸い私はまったく草木の声など聞こえない(人間の声だってあやしい?)。

Thursday, November 11

かぜつよく


かぜつよくやまなみしかとみゆるごごこぞのいまごろふじみたりしか

風強く山並みしかと見ゆる午後去年の今ごろ富士見たりしか

空気が乾燥して山並みがはっきりと見えるようになってきた。去年の勤め先は富士山がよく見える立地だったが、今ごろはもう見ていたのだろうか。

Wednesday, November 10

むれをなす


むれをなすきんゑのころはかぜふくとによろによろみたいにそのみをゆする

群をなすキンエノコロは風吹くとニョロニョロみたいにその身を揺する

空地に群がって咲いているキンエノコロの花穂。強い風が吹くと西日の中でムーミンに出てくるニョロニョロみたいに揺れ動いている。

Tuesday, November 9

どくだみや


どくだみやおしろいばなはかれはじめすすきもかれたらろぜつとでばん

ドクダミやオシロイバナは枯れ始めススキも枯れたらロゼット出番

いつも見ている駅舎の外の狭い空地。ススキだけがまだ花穂を元気につけているが、その下を見るとしっかりロゼットが見える。冬はロゼット?

Monday, November 8

わるぐちを


わるぐちをいふひとみにくいきくひとはもつとみにくいらくえふすすむ

悪口を言ふ人見にくい聞く人はもつと見にくい落葉進む

悪口を言う人は悪口地獄に堕ちている。それをうんうんと聞き続けるというのはその人が地獄にい続けるのを手助けしているようなものだ。世の中のこういう「善人」がかえってたちが悪い。さっと木を見る。

しちごさん


しちごさんらしいかぞくがはれやかにとほればきづたもいろづくしぶく

七五三らしい家族が晴れやかに通ればキヅタも色づく渋く

等々力の神社あたり。七五三らしい家族が晴れ着を来た女の子を中心にやって来る。その華やかな色と渋いキヅタの紅葉。取り合わせの妙だ。


くすのきのたいぼくのもとあちこちにみがちらばつてゐるくろびかりして

クスノキの大木の下あちこちに実が散らばつてゐる黒光りして

神社のクスノキの大木。その下に黒い実が散らばっていて黒光りしている。落ちてもしっかりと力のある実だと感心した。

Saturday, November 6

ぎよしうなら


ぎよしうならちるつばきよりしろふようそのはのかそけさもうしびれます

御舟なら散る椿より白芙蓉その葉のかそけさもうしびれます

山種美術館で速水御舟の絵を観てきた。重文の「名樹散椿」や「炎舞」は確かに圧巻だったが、私の好みは「白芙蓉」など繊細な小品だ。


けふちくたういつまでさくかばかかともいはれてもよいふゆまでさけよ

キョウチクトウいつまで咲くかバカかとも言われてもよい冬まで咲けよ

恵比寿。立派な門前にキョウチクトウの白い花が咲いていた。川柳など気にしないでいつまでも咲き続けてよいぞ、と励まし(?)の声をかけた。

Friday, November 5

きんでいの


きんでいのたけにぐさのはこのよならずりゆうしのえがくくさのみのせかい

金泥のタケニグサの葉この世ならず龍子の描く「草の実」の世界

『色で読み解く日本画』という本を読んだ。その中に川端龍子が描いた「草の実」があったが、金泥のタケニグサの葉がえも言われぬ凄さ。

ざつさうが


ざつさうがかられたあとにまつさきにはをだすふきのはびこるゆうき?

雑草が刈られた後に真つ先に葉を出すフキのはびこる勇気?

近所の駅。駅舎の前の空地の雑草が刈り取られて半月ぐらい。今日見ると早くもフキが真新しい葉を出していた。嫌われる勇気ではなく・・。

Thursday, November 4

いがいがの


いがいがのかたまりそのみにつのにほんあるのはあめりかせんだんぐさか

イガイガの塊その実に角二本あるのはアメリカセンダングサか

近所で。似たような名前の草が多いが、センダングサにもいくつかのバリエーションがある。コセンダングサとの見分け方。

Tuesday, November 2

がくせいが


がくせいがおほくすんでるえきちかくみせはあれどもしよくぶつはなく

学生が多く住んでる駅近く店はあれども植物はなく

学芸大あたり。学生が住みやすい町だが、駅前には樹木はもちろん雑草すらあまりない。奥に行くと人家の植栽がやっと目につく程度。

あいされる


あいされるものはかよわくすてられるものはづぶといひめじよおんさく

愛されるものはかよわく捨てられるものは図太いヒメジョオン咲く

近所の遊歩道。一面の草むらにヒメジョオンの花が元気に咲いている。きれいな花だがどこにでも咲いているせいか、あまり注目されない花。


やぶがらしにかくれてまつかなはながさくうきつりぼくもざつさうのうち

ヤブガラシに隠れて真つ赤な花が咲くウキツリボクも雑草のうち

植栽の上に一面にヤブガラシ。その中に隠れるように鮮紅色のウキツリボクの花のがくが見える。今は場違いな光景だが・・・。

Monday, November 1

あめのなか


あめのなかいすにすわつたさげふゐんおほきなはさみでざつさうをきる

雨の中椅子に座つた作業員大きな鋏で雑草を切る

用賀あたりの光景。植え込みの中で作業員が大きなハサミで下草を刈り取っている。たぶん器械は使えないのだろう。


ぼけのえだにあかいつぼみがみつつよつおくにはくさつたみがひとつ

ボケの枝に赤いつぼみが三つ四つ奥には腐つた実がひとつ

ボケの赤いつぼみが目を引く。注意してみると枝の中にその実が半ば腐ったようになって打ち捨てられている。

Saturday, October 30

ぬるでのは


ぬるでのはむしこぶだらけでそのなかにぬるではいぼけふしたちがすむ

ヌルデの葉虫こぶだらけでその中にヌルデハイボケフシたちが住む

草木散歩。ヌルデの葉一面に虫こぶができて哀れな様子。ヌルデハイボケフシ(白膠木葉疣毛節)という名のダニたちが住んでいるという。


そびえたつやまならしのきそのもとでこずゑをみあげてかぜまつをとこ

そびえ立つヤマナラシの木そのもとで梢を見上げて風待つ男

かつての横浜水道、その切り通しの土手にヤマナラシの木が立っている。葉の鳴る音を聞くために風を待つ男がいる。

Friday, October 29

あきのひの


あきのひのしみんのうゑんふとみるとほとけのざのはないまごろさくか

秋の日の市民農園ふと見るとホトケノザの花今ごろ咲くか

近所の市民農園。いろいろな野菜が植えられている。周囲の道草の中にホトケノザの花が咲いていたが、春の花ではなかったか。


すこつぷのやうなはをみておもひだすこんなのきばにさくそばのはな

スコップのやうな葉を見て思ひ出すこんな軒端に咲くソバの花

近所の古い家の軒端。白い花が咲いているので近寄って見るとどこかで見た白い花。葉の形を見てやっとソバの花だと気づいた。

Thursday, October 28

らふそくの


らふそくのかたちのあかいまねつちあわみやうはあらげくわえんさうとか

蠟燭の形の赤きマネッチア和名は粗毛火焔草とか

いつもと違う道。いろいろな草花が華やかな庭先。見覚えのある花の名を調べてみると和名の方が分かりやすいがちょっと使いたくない名前。


きじつまへとうへうにいくみちすがらこばのせんなはいまはなざかり

期日前投票に行く道すがら小葉のセンナは今花ざかり

衆院選の期日前投票に行く。いつもは通らない道を行くと目新しい草木との出会いがある。新しい名前も覚えた。小葉のセンナさん。花言葉は「輝かしい未来」。

Wednesday, October 27

にんげんの


にんげんのいとなみさかんになつたならくさきはかられるぎやくもしんかも

人間の営み盛んになつたなら草木は刈られる逆も真かも

人間が土地をきちんと管理するようになると雑草は刈り取られる。いつか植物の勢いに人間が負ける日がくるかもしれない。

Tuesday, October 26

あきばれの


あきばれのひかりのなかをでんしやゆくたまきうりようはすすきのてんか

秋晴れの光の中を電車ゆく多摩丘陵はススキの天下

秋晴の好天の一日。電車は多摩丘陵を横切りながら都心に向かう。土手にはススキが輝いているが、かつては一面のススキ原だったのだろう。

Monday, October 25

あるいへの


あるいへのにはになにかのわかめありてやうやくにはきのきられしをしる

ある家の庭に何かの若芽ありてやうやく庭木の伐られしを知る

いつもの通り道。家の庭に何かの若芽が数本出ている。そこにはユズリハの木などが植えられていたことに気づいた。


ならびたつけやきといちやうはをへらしほねぐみまたかさならず

並び立つけやきといちやう葉を減らし枝の骨組みまた重ならず

イチョウとケヤキが並んでいる広場。同時に落葉が進んでいるが、枝の骨組みもきれいに空間を分けている。

Sunday, October 24

しろきみきを


しろきみきをいちもくさんにかけくだるありよなんのいちだじなるか

白き幹を一目散に駆け下る蟻よ何の一大事なるか

用賀あたり。イロハモミジの幹を一匹のアリが大急ぎで駆け下りていく。生き急ぐのは人だけではないようだ。


みちのわきでくさきをながむるひとときはひとよりむしにちかききぶんか

道の脇で草木をながむる一時は人より虫に近き気分か

最近はよく道の脇で植物を見ている時間が増えた。というよりここ数年はまったく植物を見ていなかったのだが、ある種のサイクルか。

Saturday, October 23

ゆふかぜに


ゆふかぜにさわさわはのなるこならかなくぬぎみづきははのゆるるのみ

夕風にさわさわ葉の鳴る小楢かな櫟水木は葉の揺るるのみ

近所の雑木林の木はコナラとクヌギがほとんどで足元にはたくさんのドングリが落ちている。葉が密集しているコナラの葉音がやはり大きい。


ほとんどのはをおとしたるえごのきはいまだにみどりのみをたらしたり

ほとんどの葉を落としたるえごの木はいまだに緑の実を垂らしたり

雑木林の木の落葉のスピードはそれぞれ。エゴノキが一番早く葉を落としているが、まだたくさんの緑の実を枝に残している。鳥は食べない?

Friday, October 22

ながれゆく


ながれゆくしやさうのけしきはつとみるきくいものはなむれてさきたり

流れゆく車窓の景色はつと見る菊芋の花群れて咲きたり

仕事で移動中の電車の中。ぼんやりと車窓の外の風景を見ているとさっと黄色い花たちが見えた。どうやらキクイモの花らしい。


てつけうをわたればかはらのくさむらのいろあひすでにこげはじめたり

鉄橋を渡れば河原の草むらの色合ひすでに焦げ始めたり

京王線で多摩川を渡る。分倍河原あたりの河原が河原らしい風情。ススキやセイタカアワダチソウ以外はやはり枯れ色に近くなってきた。

Thursday, October 21

ふえいじよあの


ふえいじよあのみらしきものをきのしたにみつけてそのきをまじまじとみる

フェイジョアの実らしきものを木の下に見つけてその木をまじまじと見る

仕事で毎週行く町。道ばたの草木を眺めながら歩いていたはずなのに今日はじめて緑の大きな実が落ちているのに気づいた.


にしのかたまどよりみゆるやまなみのぬきいづるかげはいかなるやまか

西の方窓より見ゆる山並みの抜き出づる影はいかなる山か

学校の2階から山並みが見えるが抜き出て見える山は何だろうか。冬になるともっとはっきりと見えるにちがいない。

Wednesday, October 20

しよくさいの


しよくさいのしたくさすつかりかりとらるぎもんのくさはのいちごならんか

植栽の下草すつかり刈り取らる疑問の草は野苺ならんか

よく見る広場の植栽の下の草々が今日見ると刈り取られていた。それに気づく人はほどんどいないだろう。あれはノイチゴだったのだろうか。


じゆもくにもなふだをつけしものありてなをみてむかしのことおもひいづ

樹木にも名札をつけしものありて名を見て昔のこと思ひ出づ

植栽の樹木に名札がついていることに気づいた。すでに知っているものが多いが、ヤマモモやエゴノキなど葉だけでは分からないものもあった。

Tuesday, October 19

ちゆうしやぢやう


ちゆうしやぢやうあとのすきまにらんたなとえのころぐさがなかよくさけり

駐車場跡の隙間にランタナと狗尾草が仲よく咲けり

駅前の閉鎖された駐車場。舗装の隙間にランタナとエノコログサがかたまって花を咲かせている。ランタナは雑草化しやすい園芸植物だとか。


いちめんにひよどりじやうごのはなのさくくさやぶおくにあわだちさうみゆ

一面に鵯上戸の花の咲く草やぶ奥に泡立草見ゆ

空地の草やぶ一面にヒヨドリジョウゴの花が咲いている。まるでこの空地を制圧したかのように。セイタカアワダチソウは分が悪そうだ。

Monday, October 18

いつもみる


いつもみるあきちのみちくさねこそぎにぬかれてなぜかどくだみのこれり

いつも見る空地の道草根こそぎに抜かれて何故かどくだみ残れり

最寄りの駅舎の外にある狭い空地。今日見ると大勢力を誇っていたボタンクサギはもとより、それ以外の草もすっかり引き抜かれていた。小さいドクダミだけが「大殺戮」を逃れていたのは何故だろうか?


よるかへるみちにならびしだちゆらのはなこよひくびよりきられてゐたり

夜帰る道に並びしダチユラの花今宵首より伐られてゐたり

仕事から帰る夜道、ダチュラの重そうな大きな花がズラッと並んで咲いていたのだが、今夜見ると葉も花も伐られて茎だけが残っていた。冬備えか。

Sunday, October 17

ぬれそぼつ


ぬれそぼつはかげにかくれていびつなるみのありぼけのみならんとおもふ

濡れそぼつ葉陰に隠れて歪なる実のあり木瓜の実ならんと思ふ

冷たい雨が降っている。通り道の花壇の家。濡れそぼつ花や葉の中にボケの実を見つけた。ちょっとしたキッカケで新しいことに気づく。


くすのきにじゆもくいしんだんちゆうといふはりがみありてつくづくながむ

楠に樹木医診断中といふ貼紙ありてつくづく眺む

用賀の遊歩道。あるクスノキの幹に「樹木医診断中」の大きな貼紙。どこか悪いのだろうかと思って素人眼で観察してしまった。

Saturday, October 16

すずなりの


すずなりのすはうのくろきさやのみはみれんのごとくおちずにゐたり

鈴なりの蘇芳の黒きさやの実は未練のごとく落ちずにゐたり

春になると枝に蘇芳色のかわいい花をつけるハナズオウ。葉も落葉の時期を迎えようとしているのに実の方は落ちる気配もない。


いけがきのおしろいばなはかりとられかたやのこれるのぶだうのみは

生垣の白粉花は刈り取られかたや残れる野葡萄の実は

オシロイバナは雑草扱いらしい。刈り取られて生垣の上にその身をさらしている。色とりどりの実をつけているノブドウは残されているのに。

Friday, October 15

あくたより


あくたよりみづひきのはなさきいでてうへよりいくつかしろばなもみゆ

芥より水引の花咲き出でて上よりいくつか白花も見ゆ

駅舎の窓の外にはゴミが散乱。その中にミズヒキが何本も出て花をつけている。上から見ると赤い花だが下側の白い部分が見える花もある。


さらちにはかやつりぐさのはなありてむかしつかひしかやおもひいづ

更地には蚊帳吊草の花ありて昔使ひし蚊帳思ひ出づ

植物の和名は古い言葉が使われているので、その名前から昔のことを連想することがある。蚊帳と言っても若い人には通じまい。

Thursday, October 14

あきひえて


あきひえてきんもくせいはちんもくしとなりにともるさざんくわのはな

秋冷えて金木犀は沈黙しとなりにともる山茶花の花

駅への道。いつも見るキンモクセイの花はなく、まるで入れ替わるようにサザンカの花が咲き始めていた。


いつしんにくさはむやぎはさくのそとへくびねぢまげてあたまいだせり

一心に草喰む山羊は柵の外へ首捻じ曲げて頭出だせり

学校に山羊が来る日。女生徒たちが草を与えたりするが、おかまいなしに手当り次第近くの草を食べている。怖くなるほど真剣な眼。

Wednesday, October 13

とほめより


とほめよりみれどもことさらにもとめねばことしはくずのはなをみざりき

遠目より見れどもことさらに求めねば今年は葛の花を見ざりき

どこにでもあるクズの葉だが、その花は近寄らねば見つからない。見に行くほどではないと思ったのだろうか。


しよくぶつにふれぬせうせつたとへればせかいをかためでみるがごときか

植物に触れぬ小説たとへれば世界を片目で見るがごときか

小説を読むときに植物のことに触れていない作品はそれだけで不完全なものに思えてしまう。人間本位すぎる。

Tuesday, October 12

わきみちへ


わきみちへいりてみしらぬみちゆけばじふぐわつざくらのはなさきそむる

脇道へ入りて見知らぬ道行けば十月桜の花咲き初むる

尾山台駅付近。線路沿いのセイタカアワダチソウを見ながら脇道に入ると、ジュウガツザクラを植えている家があった。

みちひとつわけいりみればさまざまなくさきにであふとくわいといへど


道一つ分け入り見ればさまざまな草木に出会ふ都会といへど

都会の住宅地を歩くと郊外では見ないような植物に出会うことがある。都会ならではのこだわりのある植物。

Monday, October 11

あきあつく


あきあつくきのふさきたるはなかんなけふはきられてくきのみたてり

秋暑く昨日咲きたる花カンナ今日は伐られて茎のみ立てり

10月だというのに暑い日が続く。近所の家の花壇で咲いていたカンナの姿がない。カンナ燃え尽く、とつぶやきながら通り過ぎた。


しよくさいにうもれしからたちみつくれどらいはるはなをみることありや

植栽に埋もれし枳殻見つくれど来春花を見ることありや

千歳烏山の広場。時間があれば植物観察をしているが、今日はカラタチを見つけた。果たして来春の自分はどうなっているのやら。

Sunday, October 10

ひとなつを


ひとなつをとぎれずさきたるさるすべりえやみのやみてはなさきはつる

ひと夏を途切れず咲きたる百日紅疫病の已みて花咲き果つる

やっと新型コロナからの出口が見えた今日この頃、まるでそれを見届けたかのようにサルスベリの花も終わろうとしている。


ながきくきさながらかれしあがぱんさすかへいはかばねのごとのこりたり

長き茎さながら枯れしアガパンサス花柄は屍のごと残りたり

砧公園に続く遊歩道。脇に植えられた植栽のアガパンサスの姿を見てもしばらく何の花か分からなかった。

Saturday, October 9

しきみのき


しきみのきみつけてそのみをさがしたればわづかにひとつはかげにありぬ

樒の木見つけてその実を探したればわづかに一つ葉かげにありぬ

近所の遊歩道。以前見知っていたシキミの木をまた見つけた。その禍々しい形の実は猛毒ということで、きっと管理者が取っていくのだろう。


いうほだうゆけばめとまるみのありてむかしのままになつめはたてり

遊歩道行けば目止まる実のありて昔のままに棗は立てり

ナツメの葉も実もツヤツヤしていて美しい。青い実にまじって茶色に熟した実もある。この道はかつての水道の跡。昔の家の人が植えたものだろうか。


さいあいのつまをなくししみつひではこころのやみもてらんなしたるか

最愛の妻を亡くしし光秀は心の闇もて乱なしたるか

誤解だらけの明智光秀』を読んで。光秀は妻の煕子(ひろこ)を亡くした6年後に本能寺の変を起こしている。伝説によると煕子は美人で有名だったが、光秀と結婚する前に疱瘡をわずらい顔に傷が残った。それで同じく美人の妹を勧めたが、光秀は顔で結婚するわけではないと煕子と結婚したという。後に光秀が病気になったときにその看病がもとで煕子は亡くなったとも。伝承にすぎないが、光秀は現代人に近い感性の持ち主だったのかもしれない。

Friday, October 8

ふまれねば


ふまれねばかくものびやかなるくさかだんちのすみにおほばこそだつ

踏まれねばかくものびやかなる草か団地の隅に大葉子育つ

郊外の団地。敷地の隅に茎立ちしたオオバコが葉をのびのびとのばしている。いつも見るのは踏まれて生きる形なんだなあ。


なゐありてひとのいとなみことさらにおもへばさうもくみることもなく

地震ありて人の営みことさらに思へば草木見ることもなく

昨夜大きな地震があった。今日もその混乱が続いているが、自分もそれに巻き込まれてすっかり草木どころではなくなってしまった。

Thursday, October 7

やまちかき


やまちかきたかをのえきよりみはらせばいちやうのなみきはすゑきばみたり

山近き高尾の駅より見はらせばいちやうの並木は末黄ばみたり

高尾の駅のホームからの光景。山に近いだけあって寒暖差が大きいのか、イチョウ並木の梢がすでに黄葉している。


かはらにはすすきとせいたかあわだちさうなはばりあるがごとくにわかる

河原には薄と背高泡立草縄張りあるがごとくに分かる

かつて外来種のセイタカアワダチソウが在来種のススキを駆逐すると心配されたことがあったが、そうでもないらしい。

Wednesday, October 6

えごのきの


えごのきのこずゑにひよどりなきさわぎそのみはわれてたねおちんとす

えごの木の梢にひよどり鳴きさわぎその実は割れて種落ちんとす

エゴノキの実は有毒。ヤマガラは上手に実を割ってその種を食べると言うが、ヒヨドリは実が落ちるのを待っているのだろうか。

はのみにてそのくさのなをしるはかたくたまさかはなのさくをみてしる

葉のみにてその草の名を知るは難くたまさか花の咲くを見て知る

ずっと気になっていた大きな葉。あれでもないこれでもないと思いながら半月。やっと花が咲いている葉を見つけた。ボタンクサギらしい。

Tuesday, October 5

じふぐわつに


じふぐわつにまことのざんしよやあちこちにきんもくせいはまたはなをつく

十月にまことの残暑やあちこちに金木犀はまた花をつく

十月になって残暑のような暑い日が続く。あちこちで金木犀がまた花をつけているが、今年は「分散開花」かな。


しぬせみもほんくわいとげてゆくときはさいごのまなこすみやかなるべし

死ぬ蝉も本懐遂げて逝くときは最期のまなこ澄みやかなるべし

『生き物の死にざま』を読んだ。生き物の「本懐」は次世代に遺伝子を残すこと。彼らはそのために全生涯を賭けている。

Monday, October 4

ふみきりの


ふみきりのわきにかたまるゑのころぐさにしびをあびてみなかがよへり

踏切の脇にかたまる狗尾草西日を浴びてみな耀へり

西日が早く落ちるようになってきた。穂先が垂れるのはアキノエノコログサだというが、仲よくかたまって夕風の中で輝いている。


きみのなはととふことかなはぬくさのなをしるときちきのごとくなりぬ

君の名はと問ふことかなはぬ草の名を知るとき知己のごとくになりぬ

最近は道草(道端でみかける草)の名前を調べるようになった。人間でもそうだが名前を知らなければ親しくなれない。

Sunday, October 3

たまがはを


たまがはをみおろすほーむにもんきてふふきあげられてあらがひとべり

多摩川を見下ろすホームに紋黄蝶吹き上げられて抗ひ飛べり

二子玉川駅のホームから下の兵庫島公園がよく見える。暖かい風に吹き上げられたのか、モンキチョウが目前に現れて流されていった。


いへのあとのぐわれきのやまにところせくたつやうしゆやまごばう

家の跡の瓦礫の山に所狭く立つ洋種やまごばう

用賀あたり。取り壊された人家の跡地をヨウシュヤマゴボウが大きな顔、ではなく葉をして占有していた。よほど成長が早いのか。

Saturday, October 2

えうちゑんの


えうちゑんのしきちにどんぐりあまたおちてしうあけこらのあそびとならん

幼稚園の敷地にどんぐりあまた落ちて週明け子らの遊びとならん

昨日の大風で幼稚園の敷地にいろんな葉っぱとドングリが落ちていた。週明け登園した子どもたちの遊び道具になりそうだ。


えだはすべてかりおとされしなみきみちとりなきゆふべをひとはあるけり

枝葉すべて刈り落とされし並木道鳥なき夕べを人は歩けり

最近人気が出ているという街。空中回廊を歩いていると下の並木道の枝葉が全部きれいに刈り落とされている。ムクドリ対策か・・。

Friday, October 1

かぜつよく


かぜつよくふきくるよひやみまちくらくやつでのはなはおもげにゆるる

風強く吹きくる宵闇町暗く八手の花は重げに揺るる

台風が関東に接近して大雨となった。夕方雨が止んで外に出ると、風はまだ強く人家のヤツデの花が大きく揺れていた。

Thursday, September 30

あれはてし


あれはてしにはこそよけれなにしおふはきだめぎくのはなさもきたり

荒れ果てし庭こそよけれ名にし負ふはきだめ菊の花も咲きたり

近所に荒れ果てた庭があるが、いろいろな草が繁茂して雑草天国となっている。牧野博士がはきだめで見つけたという花も咲いていた。


ろめんにはふみちらされしいちやうのみたねのみとりさるひとありぬべし

路面には踏み散らされしいちやうの実種のみ採り去る人ありぬべし

職場のまわり。イチョウの実で路面が汚く汚れている。雌イチョウがこんなところにと思ったが、知る人ぞ知る狩り場かもしれない。

Wednesday, September 29

しらかべに


しらかべにやもりいつぴきはりつきてつつけばさつとくらやみににぐ

白壁にやもり一匹張り付きてつつけばさつと暗闇に逃ぐ

今日は自民党の総裁選。まったく関係ないが、夜の壁にヤモリが止まっていたのでつい手を出してしまった。逃げるが勝ち。


もとくらしわがやのしきちのじゆかみればくさにまじりてやつでのはあり

もと暗し我が家の敷地の樹下見れば草に交じりて八手の葉あり

街中でスキマに生きている植物に注意するようになったが、自分の家のまわりは見ていないことに気づいた。灯台下暗し。

Tuesday, September 28

はいをくの


はいをくのべらんだにあるりゆうぜつらんおそひくるごとはをのばしをり

廃屋のベランダにある竜舌蘭襲ひ来るごと葉を延ばしをり

奥沢にある廃屋(たぶん)。壁も屋根もツタに覆われているが、2階のベランダのリュウゼツランが襲って来るエイリアンのように見える。


えきまえのくわだんにつゆくさうゑられてそこをすきまとたますだれさく

駅前の花壇に露草植ゑられてそこを隙間と玉すだれ咲く

『スキマ植物の世界』を読んだ。都会の植物はスキマを探してはそこで充足して暮らしているようだ。ポイントは引き抜かれないこと。

Monday, September 27

しにづたの


しにづたのそのままかべにはりつきてかばねのごとくみをさらしをり

死に蔦のそのまま壁にはりつきて屍のごとく身を晒しをり

壁に這い上がるキヅタを根元から切ってしまった家の壁。ツタのからまる・・というわけにはいかないのだろうが。


こうゑんのけやきといちやうならびたちなかよくそらをわかちあひたり

公園の欅と銀杏並び立ち仲よく空を分かちあひたり

樹木もまた光を求めて競争している。末広がりのケヤキと円錐形のイチョウの樹形を考えて並べて植えたのだろうか。

Sunday, September 26

いにしへの


いにしへのすいろのあとやくわじゆゑんのわきよりにらのはなのさきたる

いにしへの水路の跡や果樹園の脇より韮の花の咲きたる

砧公園の近く。昔の用水路の跡がそのまま遊歩道になっているようだ。道沿いの果樹園は昔は畑だったのだろう。


せたがやののうかのふえんすはきみどりのつたのかざりでおほはれてをり

世田谷の農家のフェンスは黄緑の蔦の飾りで覆はれてをり

世田谷の閑静な住宅地にある農家。目隠しのためか、金網にはオシャレ(?)なプラスチック製のツタがはりめぐらされている。

Saturday, September 25

いけのへり


いけのへりくさよりいでたるいぬたではかつてしだいにはなのほのばす

池のへり草より出でたる犬蓼は勝手次第に花の穂伸ばす

せせらぎ公園には小さな池があるが、ふと見ると赤いイヌタデの花が池畔に咲いている。赤まんまという名のとおりの米粒のような花。


たきのみずもにごりたるにやいけのなかおよぐひごひもいろくすみたり

滝の水も濁りたるにや池の中泳ぐ緋鯉も色くすみたり

小さな滝が流れ落ちて池へと注いでいる。今日は雨後のせいか池の水も濁って、鮮やかな緋鯉もはっきりと見えないほど。

Friday, September 24

ろーたりーに


ろーたりーにめたせこいあのいちぼくがたてりそうみをちぢむるがごと

ロータリーにメタセコイアの一木が立てり総身を縮むるがごと

とある駅のロータリー。その中央にメタセコイアが一本立っている。せっかくの枝も伐りそろえられて残念な姿をしている。


しうぶんのひかりはしやめんのくずはらのすすきのほさきかがよはせたり

秋分の光は斜面の葛原の薄の穂先燿はせたり

昨日は秋分の日。駅の裏手の斜面には色々な草が繁茂しているが、一番目につくのは葛。その中で薄の穂先が輝くように揺れていた。

Thursday, September 23

あかきみの


あかきみのぱくりとわれてくろきたねひつつきたればごんずいとしる

赤き実のぱくりと割れて黒き種ひつつきたればゴンズイと知る

赤い実と黒い種子という組み合わせが目立つので、すぐにこの木と知れる。代々木公園の木が馴染みの木だったのだが。


たそがれのもりをあるけばまちにきかぬつくつくぼふしきそひてなけり

たそがれの森を歩けば街に聞かぬつくつくぼふし競ひて鳴けり

蝉の声が聞かれなくなった。久しぶりに近所の保護林に入るとけたたましいほどツクツクボウシが鳴き競っている。

ゆふまぐれ


ゆふまぐれじゆじやうになくはあをまつむしおそるるものなくこゑたからかに

夕まぐれ樹上に鳴くは青松虫恐るるものなく声高らかに

夜になると高いところから聞こえる虫の声。外来種のアオマツムシだという。天敵がいないので我が世の春を謳歌しているらしい。


たみくさはくさのごとくになでぎられいつしやうにげてひやくさうからる

民草は草のごとくになで斬られ一将逃げて百草刈らる

『黒牢城』という小説を読んだ。逃げた武将は荒木村重やその家老だが、そのために多くの血が流れた。

Tuesday, September 21

かきのみの


かきのみのあまたえだぎにじゆくしたるひととせひともとりもくはずや

柿の実のあまた枝木に熟したる一年人も鳥も食ずや

電車から見た光景。一本の大きな柿の木に熟柿がたくさん残っている。これもまた木守柿ということなんだろうか。


まんげつのちかくにかがやくもくせいはよんじつぷんのながたびをせり

満月の近くに輝く木星は四十分の長旅をせり

今日は中秋の名月で満月。月まで光速で1.2秒だが木星までは40分かかる。この光の遅さによって我々は守られているのかもしれない。

Monday, September 20

かぜふけば


かぜふけばづじやうにさやぐぽぷらのははげしくみだれてひとはもおちず

風吹けば頭上にさやぐポプラの葉激しく乱れて一葉も落ちず

近所の公園のポプラの木。まだ暖かさの残る風がその葉を激しく揺らしている。このにぎやかな葉音にも進化生物学的な意味があるのか。


ゆふぐれをかへればすずめのなくをきくおやどははななききんもくせいか

夕暮を帰れば雀の鳴くを聞くお宿は花なき金木犀か

雀の鳴き声がキンモクセイの木の中から聞こえてくる。たぶんそこが雀のお宿なのだろう。下に行くと落花が芥のように落ちていた。

Sunday, September 19

あきにさく


あきにさくはなのめだたぬおほかれどなどかあぢさゐいまださきたり

秋に咲く花の目立たぬ多かれどなどか紫陽花いまだ咲きたり

季節外れの花は狂い花などというが、いまだ近所のガクアジサイの「花」が咲いているのもそれだろうか。


ねこそぎにまはりのきぎもひきぬかれふるきりよくわんはあとかたもなし

根こそぎに周りの木々も引き抜かれ古き旅館は跡形もなし

ちまたでは「コロナ廃業」が問題になっているが、多摩川近くの古い旅館が取り壊されて更地になっていた。周りの木々も道連れになったか。

Saturday, September 18

みなみより


みなみよりかぜふきたちてのわきめくゆるるくさきにはやはぎのはな

南より風吹たちて野分めく揺るる草木にはや萩の花

台風の影響で南から雨風が吹いてくる。河岸段丘の縁にあるせせらぎ公園。もう萩の花が咲いていますねと言われて気づいた。


このあめにはなはちりなんきんもくせいますくはづしてそのかをすへり

この雨に花は散りなん金木犀マスク外してその香を吸へり

今夜ずっと降り続く雨。早くも咲いたキンモクセイの花も散ってしまうだろう。強い香りは苦手だが・・。

Thursday, September 16

としごとに


としごとにおもひいだせぬなのふえてしればなつかしきやぶめうがのみ

年ごとに思ひ出せぬ名の増えて知れば懐かしき藪茗荷の実

林の中を歩き回っていたころ、よく見かけたヤブミョウガ。その名前を知って過去へのつながりがもどってきた。


なつすぎてひともわするやまどのそとだいだいいろのごーやぞたるる

夏過ぎて人も忘するや窓の外橙色のゴーヤぞ垂るる

夏の間は日除けカーテンとなっていたゴーヤの葉もすっかりまばらになって、その中に橙色の巨大な実がぶら下がっている。

そのむかし


そのむかしくらししまちをでんしやゆくみのるいなだやかくせまかりき

その昔暮らしし町を電車ゆく稔る稲田やかく狭かりき

電車が昔住んでいた町を通っていく。稲田は稔りの季節を迎えているが、宅地化のせいでずいぶん狭くなった。

Wednesday, September 15

やさいとて


やさいとてたねからたねへとゐでんしをつなぐしよくぶつかんしやしてたぶ

野菜とて種から種へと遺伝子をつなぐ植物感謝して食ぶ

『種から種へ 命つながるお野菜の一生』という本を読んだ。野菜もまた肉のように「命」をいただいている。


びるのかべをこえんとのぶるこずゑのはよらねばしらずかつらのきとは

ビルの壁を越えんと伸ぶる梢の葉寄らねば知らず桂の木とは

いつも食事しながらぼんやりと見る前の広場の木。近寄ってはじめてそれがカツラの木だとわかった。

Tuesday, September 14

うへきられ


うへきられしたのみしげれるつがのきのむかうのかべにしつぐわいきあり

上伐られ下のみ繁れる栂の木の向かうの壁に室外機あり

広場の片隅にあるツガの木。一本だけ幹から上半分が伐られている。ふと見ると向こうのビルの壁にエアコンの室外機が設置されているのだ。

Monday, September 13

ほーむより


ほーむよりみやればはなさくたけにぐさはじめてえきのみなみをあるく

ホームより見やれば花咲く竹似草はじめて駅の南を歩く

いつも使う駅、使わない南口にたくさんのタケニグサが花をつけていた。見においでよと言われたような気がした。


きのふみしみじかきくきのひがんばなけふつきぬけてつぼみあらはす

昨日見し短き茎の彼岸花今日突き抜けてつぼみ現す

彼岸花の開花のスピードはこんなに早いのかと驚く。今日はつぼみだが、明日は満開の花が咲き揃いそうだ。

Sunday, September 12

つねならば


つねならばかをりよりしるきんもくせいことしははなのいろにぞきづく

つねならば香りより知る金木犀今年は花の色にぞ気づく

キンモクセイの強い匂いは苦手だ。まるで大勢で自分の存在を主張しているように感じる。今年はどうも開花が早いようだ。

Saturday, September 11

くさむらの


くさむらのしげりみたればまどわくにこつねんとゐるおほかまきりは

草むらの茂り見たれば窓枠に忽然とゐる大カマキリは

自分が動いていると止まっている虫を見つけるのは難しい。止まって初めて虫たちの世界が見えてくる。私が虫だったらカマキリの餌食だった。


しよくかくをかぜになびかせかまきりはびどうだにせずくわしんをみたり

触覚を風になびかせカマキリは微動だにせず花芯を見たり

カマキリはまるで止まった器械のように動かない。花を訪れる獲物を狙って戦闘モードに入っているのだろう。

Friday, September 10

いへほろび


いへほろびにはききられてみきのこれりなにかとおもへばだいわうしようなり

家滅び庭木伐られて幹残れり何かと思へば大王松なり

近所の個人病院が取り壊されている。シンボルツリーだった大王松も枝を伐られていたが、どこかに植え替えられるといいのだが。


あきあさくみどりにうもるるなんてんのひとははへりよりはやもみぢせり

秋浅く緑に埋もるる南天の一葉はへりよりはや紅葉せり

残暑が続く。植物は盛んに光合成をしている(有害な緑色光を撒き散らしている)が、その中に地味に南天の紅葉が始まっていた。

Wednesday, September 8

あめあがり


あめあがりろめんにはゆるちりおちばおほかるものはさくらなるめり

雨上がり路面に映ゆる散り落葉多かるものは桜なるめり

だんだんと落葉の季節。散っている落葉の中で桜が一番多いが、散る順番があるのだろうか。


あぢさゐのはなにみえにしがくのへりにほのかにもとのいろのこりをり

紫陽花の花に見えにし萼のへりにほのかにもとの色残りをり

紫陽花の季節には人々の目をひきつけていた装飾花も今はすべてが緑色に溶け込んでいる。わずかに萼に残る色以外は。

ほのぐらき


ほのぐらきあたりにあればなほさらにまがまがしくみゆだちゆらのつぼみ

ほの暗きあたりにあればなほさらに禍々しく見ゆダチユラのつぼみ

ダチュラという名は京極夏彦の小説で知った。本当に催淫性があるのかは知らないが、どうしてもそのイメージで見てしまう。

Monday, September 6

ふとみれば


ふとみればえきしやのまどよりほそきはのいでたりすすきはやみをつけて

ふと見れば駅舎の窓より細き葉の出でたり薄はや花つけて

いつも使っている駅のホーム。窓の外の草むらをみると大きなススキが花をつけていた。もう月見のシーズンか。

あきさめの


あきさめのふりみふらずはんてんのくちばをふみてゆりのきとしる

秋雨の降りみ降らずみ半纏の朽葉を踏みてユリノキと知る

いつも歩く商店街で半纏の形の落葉を踏んだ。見上げて探すとユリノキがあった。どうしていままで気づかなかったのだろう?

Saturday, September 4

たいりんの


たいりんのひまはりかうべをおもくたれふたたびひのめをみることありや

大輪の向日葵頭を重く垂れ再び日のめを見ることありや

大きな頭のヒマワリの花。盛夏にはしっかりと太陽をとらえていたのであろう。焼け焦げたように頭を垂れている。


いちやうのみさらにじゆくしてきみまじるいつまでなくやつくつくぼふし

いちやうの実さらに熟して黄みまじるいつまで鳴くやつくつくぼふし

九品仏の浄真寺。大イチョウの木の実が目立つようになってきた。境内にはツクツクボウシが切羽詰まったように鳴いている。

Friday, September 3

かしましき


かしましきこゑもやみたりゆふやみのきぎにひそめるむくどりのむれ

かしましき声も止みたり夕闇の木々にひそめる椋鳥の群れ

最近大群のムクドリが駅前の木々をねぐらにして、それが一種の公害のようになっているという。

Thursday, September 2

こよひまた


こよひまたあめになるらんほそづつのおしろいばなのはなひらくころ

今宵また雨になるらん細筒の白粉花の花開く頃

残暑なく秋雨が降り続いている。雨の中でもオシロイバナは午後4時頃から花を開く。

Wednesday, September 1

たけきかほ


たけきかほなれどやさしきものもありやをらみつすふまるはなばちは

猛き顔なれど優しきものもありやをら蜜吸ふマルハナバチは

見た目は怖そうでも案外優しい性格の人がいるように、マルハナバチも攻撃的ではないという。


たまがはのかはらなつかしぽつねんといまもたちたるおにぐるみのき

多摩川の河原なつかしぽつねんと今も立ちたる鬼胡桃の木

久しぶりに車窓から見た河原。昔木々を訪ねて歩いたときに近くで見たオニグルミの木がそのままの姿で立っていた。

Tuesday, August 31

らいおんも


らいおんもこごろしするとふぜがひでもおのがいでんしのこさんとして

ライオンも子殺しするとふ是が非でもおのが遺伝子残さんとして

動物で子殺しをするのは人間だけではないらしい。すべてオスが自分の遺伝子を残すための所業だとか。


おそろしきせあかこけぐもそのをすはかうびののちにみをあたふとぞ

恐ろしきセアカコケグモその雄は交尾の後に身を与ふとぞ

最近名前をよく聞くセアカゴケグモ。そのオスは遺伝子を残すために自分自身を差し出してメスの栄養となるとか。

Monday, August 30

とどろきの


とどろきのとあるやしろのふるぐすはねこぶのだいなりふぐりのごとく

等々力のとある社の古楠は根こぶも大なりふぐりのごとく

古いクスノキの根には大きな瘤ができることがある。病気だとも過剰発育だとも言われるがいずれにしてもユーモラスな形だ。


よひやみのせまるあしはらろくまんのつばめつどひくへいぜいきゆうしに

宵闇の迫る葦原六万のつばめ集ひ来平城宮址に

新聞で読んだ話。平城京跡には行ったことがあるが昼間だったので気づかなかった。何十年も調査しているボランティアの人たちがいるという。

Sunday, August 29

あすふあるとの


あすふあるとのひまうめつむるつめくさのそのははけもののつめのごとしと

アスファルトの隙うめ詰むるつめくさのその葉はけものの爪のごとしと

最近都会の雑草に人気があるのか何冊かその手の本を読んだ。ツメクサはてっきり隙間を詰める草と思っていた。

Saturday, August 28

せんなりの


せんなりのみたるるえごのきのみきにせみはりつきてはやなきいそぐ

千なりの実垂るるえごのきの幹に蝉はりつきてはや鳴き急ぐ

広場のエゴノキにたくさんの実が垂れて秋めいてきた。その幹で鳴いているアブラゼミは本懐を遂げたのだろうか?


まきつくるもののなければかるというふやぶからしやぶからさでいく

巻きつくるもののなければ枯るといふ藪からし藪枯らさで生く

ヤブカラシは繁殖力がすさまじく藪を枯らすほどだというが、実際はそうではないようだ。名は体を表さず。