Tuesday, February 1

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』


出合うとき片や生者で片や死者生きてる自分は死んでた自分

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読む。『ライ麦畑でつかまえて』に比べるとやはり訳語が新しい。村上春樹がこの作品からかなりの影響を受けたことがよく分かる。再読だが、今回は『謎ときサリンジャー』に触発されて読んでみた。「キャッチャー」を目指したホールデンが妹フィービーの「警策」の一言によって生と死には「catch」はなく、ただ「meet」しかないことに気づくという解釈だ。なるほど、そのように読むとホールデンが手当り次第まわりの人間を「インチキ野郎」と罵倒しているこの物語が違った様相を帯びてくる。「インチキ」ではないこの生の世界の実相とはなんだろうか?思うに、白血病で死んだ弟アリーはホールデンでもあってもいいわけで、生きているのは弟かもしれない。とすれば、ホールデンは本当は存在しないのかもしれない。不思議な作品だ。