Monday, April 17

フジの花


急な雨通り過ぎたら青空がさっと広がり藤の花咲く


最近の天気予報は当てになる。

都内では予報通り好天が崩れて急な雨。雹が降ったところもあったようだ。

気がつくともうフジの花が咲く頃になっていた。

Sunday, April 16

半七と江戸01(お文の魂)西江戸川町


元治元(1864)年3月末の話、「小幡の屋敷の八重桜にも青い葉がもう目立っていた」とある。陰暦3月は、現在の4月末から5月初め。

幽霊が出るという小幡伊織の屋敷は西江戸川町にあった。そこから音羽、そして小幡家の菩提寺である池の端の浄円寺が舞台となっている。

西江戸川町は現在の水道1、2丁目あたり。当時は武家屋敷が並んでいた。

小日向台下には神田上水が流れていた(地図では8がある道路)が、半七たちもこの上水脇の道を歩いて音羽から池の端へ向かったかもしれない。上水は明治初期の東京図ではすでに暗渠になっている。

カーソルの西江戸川町あたりは池が多いことが分かる。台地からの湧水があったのだろう。切絵図では一帯は武家地となっている。

東京図には製紙会社の名前もあり、現在でもトッパンなど印刷関係の会社がある。大きなマンションが目につく。

神田上水の南側の一帯は切絵図では「御持組大縄地」という拝領地で、小さな家が立ち並んでいる。

地図右下で神田上水とクロスするところが安藤坂。当時はかなり坂で、上りやすいようにクランク状になっている。

坂を上って進むと伝通院に突き当たる。右折して善光寺坂を下り、小石川(谷端川)、東大下水(白山通り)を越えて新坂を上っていったのだろうか。

新坂が当時もあったのかはよく分からない。「大江戸今昔めぐり」によると、阿部伊勢守の屋敷内?を抜けられるように見えるのだがどうだろうか。東京図では道路が整備されている途中のようだ。


本郷通りから暗闇坂を下って池の端の手前に浄円寺がある。その名は切絵図には載っているが迅速図はそれらしき寺はない。明治初年に廃寺になったようだ。

小説では生臭坊主がいて、小幡の若い妻をたらしこもうと悪巧みしているので、さすがに執筆当時に実在する寺ではまずいだろう。

農学部があったところはもと水戸藩中屋敷、本郷キャンパス(医学部がある)あたりはもと加賀藩上屋敷だったところ。

暗闇坂はその間を通る道。江戸時代は樹木の生い茂った裏道だったようだ。

こちらも「大江戸今昔めぐり」によると現在の暗闇坂は水戸屋敷内にあり、明治期に通されたものらしい。加賀藩屋敷内?に池の端に抜けられそうな道があるが、実際に抜けられたのかは分からない。

長方形の区画は、東京共同射的会社の射的場(射撃場)。弥生美術館や竹下夢二美術館がある。現在の町の区画にその面影が残っている。

実際に歩いてみたが(寄り道しながらだったが)1時間半以上かかった。アップダウンもあり、けっこう疲れた。健脚だった江戸の人には大した道ではなかったかもしれないが…。


🙇本ブログの地図は特に断りのないものは、アプリ「東京の古い地図2020」を利用しております。

Tuesday, April 11

モッコウバラの花


この花に香りがないのはよかったねモッコウバラに覆われた家


モッコウバラの花が咲き出している。

散歩の途中で見かけたモッコウバラの家。
香りがすごいんだろうなと思ったが、ネットで調べると八重の黄色い花には香りがないそうだ。


Monday, April 10

ツルニチニチソウの花


道端のツルニチニチソウの花の中コソコソ隠れておったか小蜘蛛


猪方用水の跡を歩いていると道端にツルニチニチソウが繁茂していた。近寄って紫の花を見て写真を撮った。

後からよく見てみると、蕊だと思ったのは小さな蜘蛛だった。

頭のあたりにあるのはなんだろうか?

多摩川の堰。風が強かった。

Sunday, April 9

『半七捕物帳 年代版1』(お文の魂)


半七が思案しながら歩く江戸気づけばそこは東京の街


『半七捕物帳 年代版1』を読んで。

「半七捕物帳」を読む愉しさは人それぞれだろうが、私はとりわけその地理に関心を持つ。もちろん、そのストーリーの面白さがあっての上での話だが。

作者の岡本綺堂が参考にしたのが「江戸切絵図」(「切絵図」)。この地図は概念図であって、実際の地理を知るには明治になって作成された「東京図測量原図」(「東京図」)や「迅速測図原図」(「迅速図」)等と比較してみなければならない。

年代的には20〜30年経っているが、地理的にはそれほど大きな変化はなかったように思う。

さて、この作品集は年代順の構成になっているのだが、「お文の魂」は半七がはじめて登場する作品なので例外的に冒頭に置かれている。

舞台となっているのは小石川西江戸川端(現在の文京区水道1、2丁目あたり)にある小幡伊織という旗本の屋敷。

そこにお文という幽霊が出るという話から本作は始まるのだが、その屋敷には百坪ほどの古池があり、池浚い(掻掘)をしている。

東京図を見ると確かにこのあたりには池が多い。後背の高台からの湧水もあったようだ。低湿地だったのだろう。幽霊には好適?の地。

半七たちは、音羽→安藤坂→本郷→池の端と歩いて目的地の下谷の浄円寺に至ったと書いてある。本の注釈によると浄円寺は明治初年まであったそうで、切絵図にもその名がある。作者もチェックしてその名を作中に入れたのであろう。

結局、黒幕は浄円寺の生臭坊主だったのだが、伊織の妻がまったくの無実だったかは読者の想像に委ねられている(たぶんよろめきかかったのであろうが、綺堂はそんな野暮な詮索はしない)

切絵図と東京図を見比べて、彼らはこんなコースを歩いたのではないだろうかと想像した。

音羽→神田上水沿いの道(明治には暗渠化)→安藤坂(上る)→伝通院前右折→善光寺坂(下る)→小石川(谷端川とも言う、越える)→東大下水(白山通り、越える)→新坂(上る)→中山道・千川上水(本郷通り、越える)→水戸殿と加賀中納言殿の屋敷の間(切絵図には道はない、現在の東大工学部と農学部の間、言問通り)→暗闇坂(下る)→浄円寺(現存する宗賢寺の隣にあった)

いたるところに「水」があるのは興味深い。そのうち実踏してみたい。

Wednesday, April 5

ミツバツツジの花


鬱屈の人よ檻から出てごらんミツバツツジがもう咲いてるよ


戸越公園で見かけたミツバツツジの花。このあたりは江戸時代は、細川家下屋敷があったところ。

桜も葉桜となり、花吹雪の中を子どもたちが遊んでいる。

そんな中にも鬱屈の人はいる。まるで心の檻の中に閉じ込められているように…。

Tuesday, April 4

ヤマブキの花


崖下の暗渠の小道にヤマブキの花咲くしっかり余所見をせよと



水窪川の暗渠道。池袋から都電の線路を越えて江戸川橋まで。ビル群や新旧の住宅の間を縫うように小道が続く。

高低差のある崖の下を通ることが多い。崖上の丘に上がるには何段もある階段を上らなければならない。

道の両側は住宅が密集しているので急に長い階段が現れてくる。