Sunday, April 9

『半七捕物帳 年代版1』(お文の魂)


半七が思案しながら歩く江戸気づけばそこは東京の街


『半七捕物帳 年代版1』を読んで。

「半七捕物帳」を読む愉しさは人それぞれだろうが、私はとりわけその地理に関心を持つ。もちろん、そのストーリーの面白さがあっての上での話だが。

作者の岡本綺堂が参考にしたのが「江戸切絵図」(「切絵図」)。この地図は概念図であって、実際の地理を知るには明治になって作成された「東京図測量原図」(「東京図」)や「迅速測図原図」(「迅速図」)等と比較してみなければならない。

年代的には20〜30年経っているが、地理的にはそれほど大きな変化はなかったように思う。

さて、この作品集は年代順の構成になっているのだが、「お文の魂」は半七がはじめて登場する作品なので例外的に冒頭に置かれている。

舞台となっているのは小石川西江戸川端(現在の文京区水道1、2丁目あたり)にある小幡伊織という旗本の屋敷。

そこにお文という幽霊が出るという話から本作は始まるのだが、その屋敷には百坪ほどの古池があり、池浚い(掻掘)をしている。

東京図を見ると確かにこのあたりには池が多い。後背の高台からの湧水もあったようだ。低湿地だったのだろう。幽霊には好適?の地。

半七たちは、音羽→安藤坂→本郷→池の端と歩いて目的地の下谷の浄円寺に至ったと書いてある。本の注釈によると浄円寺は明治初年まであったそうで、切絵図にもその名がある。作者もチェックしてその名を作中に入れたのであろう。

結局、黒幕は浄円寺の生臭坊主だったのだが、伊織の妻がまったくの無実だったかは読者の想像に委ねられている(たぶんよろめきかかったのであろうが、綺堂はそんな野暮な詮索はしない)

切絵図と東京図を見比べて、彼らはこんなコースを歩いたのではないだろうかと想像した。

音羽→神田上水沿いの道(明治には暗渠化)→安藤坂(上る)→伝通院前右折→善光寺坂(下る)→小石川(谷端川とも言う、越える)→東大下水(白山通り、越える)→新坂(上る)→中山道・千川上水(本郷通り、越える)→水戸殿と加賀中納言殿の屋敷の間(切絵図には道はない、現在の東大工学部と農学部の間、言問通り)→暗闇坂(下る)→浄円寺(現存する宗賢寺の隣にあった)

いたるところに「水」があるのは興味深い。そのうち実踏してみたい。