Wednesday, May 4

『歴史のIF(もしも)』


人生にIFがあればと思うときIFの自分はもうそこいる

『歴史のIF(もしも)』(本郷和人著)を読んで。

「歴史のIF」は禁じ手だが、歴史学者があえて考察したのが本書。

たとえば、石橋山の戦いで頼朝が殺されていたら歴史はどうなるか、といった具合。

歴史の場合は、「システムの力」のようなものが働いて、中心となる人物が死んでもその代わりの人物が現れてくるということらしい。

頼朝がいなくなっても「ニア頼朝」が現れると。

では、個人の人生はどうだろうか?

思うに、頼朝がいなくても「ニア頼朝」が現れるように、私がいなくても「ニア私」がいるのではないか。

私に似た私が私のポジションを占めている。何だか聞いたような話だなあと思ったら『残月記』にそんな話があった。