Saturday, May 21

『パラソルでパラシュート』


パラソルでそこから飛んだら死んじゃうと思えばそこが人生の崖


『パラソルでパラシュート』(一穂ミチ著)を読んで。

受付嬢の美雨は、大阪城ホールのライブでひょんなきっかけからお笑い芸人の亨と知り合うことになる。

亨は30歳で、19歳のときに北海道から大阪にやって来て養成所で同期の弓彦と「安全ピン」というコンビを組んでいる。

美雨は29歳。非正規社員の受付嬢は更新は30歳までと(暗黙のルールで)決まっていた。

30歳がいわば崖っぷちで、そこから社会生活に安全に着地するための「パラシュート」が結婚だった。

「いつの時代の話?」と思う人もいるかもしれないが、そういう社会通念はいまだに呪いのように日本社会を覆っているのかもしれない。

亨やその芸人仲間と親しくなった美雨は、そういう「パラシュート」的人生から次第に外れていく。

この世の中には、たとえささやかでも生きて楽しめ、助け合える場所があるはずだという、大人のメルヘンのような展開。

パラソルで崖から飛び降りればただではすまないが、今いる場所からちょっと飛び上がってみることはできる。

美雨が頭にバンドエイドを貼ったように自分の凝り固まったスタイルを崩すことができれば、大きな問題も違って見えてくるかもしれない。

個人の深刻な問題を救えるのは笑いだけだというようなセリフがどこかにあったような気がするが。

それから言葉とアイデンティティという問題も考えさせられた。

北海道から逃げてきた亨は、自分の過去のアイデンティティを捨てるために大阪弁の芸人の世界に入る。

亨がステージで演じる「夏子」は標準語をしゃべるので、言葉から見ると地の自分の言葉に近い世界の住人であろう。

亨は、一度は捨てたアイデンティティを演じることで相対化しようとしているとも言える。

それは最終的に義母との関係を「お笑い化」することによって、亨が過去の呪縛から自由になるというエピソードではっきりする。

では美雨の場合はどうだろうか?

高校2年生のときに、東京から大阪に引っ越してきた彼女の言語的アイデンティティは微妙だ。

ただ、まったく周りの言葉に影響を受けずに標準語の世界にとどまる美雨には、ある種の頑なさを感じる。

絶対に自分のアイデンティティを変えたくないという頑固さと重苦しさが美雨にはある。その「緊縛の苦しみ」を暗示するのが最初の出血事件であり、そこで見つけたのが亨のような融通無碍のアイデンティティだったのではないだろうか。

もちろん自由自在に見えた亨の生き方が、実は美雨以上に過去の呪縛に囚われた緊縛の人生だったことは言うまでもない。

最後に亨の緊縛を解くために、美雨が激しくも完璧な大阪弁で亨に詰め寄ったのは、美雨のアイデンティティがしなやかさと自由を獲得したという意味で象徴的なエピソードとなっている。

著者は、ネット情報によると大阪出身らしいので、大阪弁と標準語のビミョーな関係に敏感なのであろう。

言語的アイデンティティという意味でも興味深い作品となっている。