唯脳が即興的に創り出す物語それが心の正体?
『心はこうして創られる』(ニック・チェイター)を読んで。
「マインド・イズ・フラット」。つまり、私たちの心は深みのある実体ではなく、心は脳による即興的な創作だという。
脳は私たちを欺いて、これが現実だという実感を与え続けている。
私たちは、この脳の働きのお陰で一貫したリアリティの中で生きることができている。
ずいぶん前のことだが、手の感覚を失ったことがあった。
手の触覚がないので、たとえばカバンの中のものを手だけで探せない状態だった。
困ったのはコップやグラスなどを手でつかめないこと。
物理的に握りしめることはできるが、紙コップなら握り潰してしまうし、グラスなら滑って手から落ちてしまう。
仕方なくコップは両手で下からつつみこむようにして持っていた。
ホットコーヒーなどは取っ手を持つと滑ってしまうし、下から持つと熱いので持つのに苦労した。
しばらくして変な感覚が生まれてきた。
それは持っているコップがヌルヌルしているという感覚だ。
もちろんコップは濡れていないし、ヌルヌルもしてもいない。
いくら手の触覚がないだけと思っても感覚的には物のほうがヌルヌルしているのだ。
コップだけでなく手に触れるすべてのものがヌルヌルしている。
つまり、私の脳は手に触覚がないのではなく、周りの世界がヌルヌルしているという幻覚を私に与えたのだ。
ヌルヌルしているから手で持とうとすると滑ってしまうという帳尻合わせだろう。
私がいくらそのヌルヌルは間違っていると理性的に考えても、そのヌルヌル感を正すことはできなかった。
幸い手の感覚は戻ってきて、そのヌルヌルは消えてしまった。
こんな奇妙な体験があるので、この著者の主張は、間違っていないように感じてしまう。