Saturday, April 22

半七と江戸03(青山の仇討)六道の辻


「青山の仇討」

佐倉藩から江戸見物に来た金右衛門と為吉という百性と、それぞれの娘と妹の4人の一行が青山の六道の辻で武士の仇討ちに遭遇するところから話は始まる。


六道の辻があったのは現在の神宮外苑で、地図のカーソルの右下の6つの道が集まっているところ。名前もそこから来ている。

ニ筋の道を東に行くと鮫河橋を経て四谷御門に到る。4人も四谷御門前の四谷塩町の親戚の家から来てここを通りかかったのだ。

また鮫河橋に下りる手前に権田原と呼ばれる広い荒涼とした原があった。

その仇討ちの武士は偽物だったということが分かった後、一行は目的の千駄ヶ谷谷町の親戚の家に向かう。

六道の辻を西に向かって渋谷川を越えると千寿院という広い寺がある。その脇に金右衛門の縁者茂兵衛の下総屋という米屋がある。

十字カーソルはその途中の道。道は途絶しているが仙寿院は現在も同じ場所にある。

渋谷川は現在は暗渠だが、新宿御苑から流れ出て国立競技場左側の外苑西通りを通り、やがて分かれて渋谷駅方面に向かう。


下総屋がある谷町は、切絵図では上記の場所にあるが、これは千駄ヶ「谷町」の一部表記ではないだろうか。

その後金右衛門はその武士に斬られた上、娘は誘拐されるという事件が出来する。半七たちがその捜査をしているさ中に、今度は為吉の妹も何者かに連れ去られてしまい、事件は混迷を極める。

最後に「権田原の対決」とでも言うべき見せ場があるのだが、その舞台が青山権田原町と表記されている台地。

北は信濃町駅南の谷(千日谷)と、南は赤坂御用地内の谷、東は鮫川の谷で区画された変形舌状台地である。

台地を東に緩やかに下る道が安鎮坂。四谷御門に向かう。その台地を権田原と呼んでいるようだが、どこかに広い野原があり、その真ん中には榛の木の大木があるという。

駈落ちをした若い男女がそこで首をつろうとする。その二人をたまたま半七が見つけて救い出すのだが、その半七に偽の仇討ち武士が襲いかかってきて、死闘となる。

その野原の場所ははっきりしないが、東京図で「廣芝」と書かれているところではないだろうか。

ここは現在は赤坂御用地となっているが、切絵図ではあまりはっきりとしない。もともと野原だったので、明治になって芝地に転用されたのではないだろうか。

結局、悪人は下総屋の茂兵衛ということが分かる。二人の娘たちには不運な結末だが、駆け落ちの二人にとっては、この上ない僥倖となっている。

六道の辻あたりは、神宮外苑、明治記念館、赤坂御用地と変わって当時の町並みはほぼ完全に消滅してしまったが、せめて地形に江戸の昔を偲びたい。


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