Wednesday, April 26

半七と江戸05(大阪屋花鳥)日本橋北新堀町


天保12年(1831)の3月、浅草観音の居開帳で大混雑している浅草寺の境内から事件が始まる。

そこに来ていた日本橋北新堀の鍋久という鉄物屋の母子連れが巾着切りに遭うところをお節という娘に救われる。

それが縁でお節は母親に見込まれて日本橋新堀町の鍋久に嫁に入る。

日本橋川下流を「新堀川」と称し、その北側に沿った町を新堀町と言った。現在は日本橋箱崎町となっている。

河口には豊海橋という橋がかかっていて、河口左岸に船番所があった。「今昔大江戸めぐり」で見ると「御船手番所」とある。


なお、高尾稲荷は高尾太夫の死後(1659)、その霊を鎮めるため当地に祀られたもの。

川沿いに大川に出るとそのまま永代橋に続く。現在の永代橋は明治30年にかけ替えられ、やや下流に移っている。

永代橋と同様、豊海橋の位置も変わっている。「御宿かわせみ」の舞台になったのがこのあたり。

鍋久に嫁に入ったお節はしばらくして乱心して夫を殺し近くの新堀川に身投げするという大事件が起こる。

事件の後ろで糸を引いていたのが大阪屋花鳥という吉原の女郎崩れで、島抜けの極悪人であった。

お節もその父親の小左衛門もぐるであったのだが、花鳥が捕まった後に父娘は姿を消す。

逐電していた小左衛門は北川村にある森厳寺の淡島明神で偶然発見される。森厳寺は現在の下北沢駅の近くにあり、前には森厳寺川という川が流れていたが、いまは暗渠になっている。


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