Sunday, April 30

半七と江戸06(朝顔屋敷)裏四番町


安政3年(1856)の11月。裏四番町の旗本の一人息子杉野大二郎たちは、お茶の水の聖堂で行われる素読吟味に参加するために早朝まだ暗い時分に聖堂に向かっていた。

大二郎には、中小姓と中間がお供をしていたのだが、水道橋を越えたあたりで大二郎が突如として「神隠し」にあって消えてしまう。

杉野家の用人に頼み込まれた同心からの指令で、半七はその大二郎の捜索を内密に行うことになるというストーリー。

裏四番町は武家地で、現在の千代田区九段北三、四丁目で靖国神社があるあたり。

「今昔大江戸めぐり」には、「裏四番町通」の名が見えるが、その南側が裏四番町となる。

富士見坂は、現在は外濠の新見附橋へと続く。靖国神社の前の道が靖国通り(九段坂)で、左手下に市ケ谷駅がある。

失踪していた大二郎は、最後には発見されるのだが、子を思う母親の「心の闇」が作り出した狂言だということが分かる。

中小姓と中間が母親の手伝いをしていたのだが、人の不安につけ込む悪人の種はいつの時代も尽きないという定番の結末となっている。

ところで、裏四番町から水道橋まで大二郎たちはどのようなルートで歩いたのだろうか。夜道のことだから近道ではなく、安全な道を歩いていったと推測できる。

裏四番町→九段坂下る→俎板橋を左折→堀留沿いを北上→御台所町に突き当たって右折→稲荷小路の先で左折して水道橋へ出る

こんなルートではなかっただろうか。いつか実踏してみたい。

下の「今昔大江戸めぐり」を見ると、外濠沿いを歩いて水道橋の手前の小石川橋を渡るという選択肢もありそうだが、堀沿いの土手から襲われる危険性を考えると、やはりこのコースとなるのではないか。

図中央の外濠の右端の橋が水道橋。図左側の池がいくつか見える区画が裏四番町。図下の島のようなところが北の丸で、橋のようになっているのが田安御門、その前の道が九段坂となる。


🙇本ブログの地図は特に断りのないものは、アプリ「東京の古い地図2020」を利用しております。