いつの日か関西弁が関西語になったら怖い国家の悪夢
『方言萌え!?』(田中ゆかり著)を読んで。
『関西弁入門』という本がある。言語としての「関西弁」を学習する入門書なのだが、これが「関西語」となるとちょっと怖い。
ある言葉がひとつの言語だと考えるときどうしても「国家意識」とリンクしてしまう。
かつて頼朝が「東国」を意識したときに、同時に自分たちの言語(京都人から忌避されていた)も意識したにちがいない。
旧ドイツのように、何らかの政治的に力学によって東と西が分かれたとき、急速に両者は別の文化を進展させていくだろう。
その時には「関西弁」は、「関西語」あるいは「上方語」となって別の言語の道をたどるのではないか(たとえば、セルビア語とクロアチア語のように)。
本書はまったくそういった本ではないが、「方言」があくまで日本語の多様性の一部として理解され、楽しまれている現代は幸せだと思った。