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Sunday, November 27

イロハモミジ紅葉


冬の日に耀う斑のもみじ葉は最期にそれぞれ個性を尽くす



イロハモミジが様々な斑模様に紅葉していた。

葉緑素が消えて、後に残ったカロチノイド(黄色)とアントシアニン(赤)の分布によって色合いが決まってくるようだ。

花になれなかった葉たちの最期の花とみることもできる。



Friday, October 7

『カモメの日の読書』


カモメ来よ本を開けば純白のページの海に一青沙鴎

『カモメの日の読書』(小津夜景)を読んで。

『いつかたこぶねになる日』と同じく漢詩エッセーとでも言うべき作品。こちらの方が先の出版。

各篇ごとに漢詩をめぐる作者の漢詩的日常が描かれている。フランスでのノマドのような暮らしぶりが小気味よい。

作者は『フラワーズ・カンフー』で田中裕明賞を受賞している俳人だが、その出発点に漢詩の世界が大いに関わっていたことは興味深い。

いずれも自由自在なタッチで書かれていて愉しいエッセーなのだが、「水のささやきを聞いた夜」と「言葉にならないさよなら」で交わされる頼山陽と愛人の江馬細香の漢詩「相聞歌」のように漢詩人たちの人生を垣間見せるものもある。

驚いたのは、作者が子どものときに本を声に出して読むと、母親がリコーダーでただちにそれを曲に変える遊びをしていたという話。

母から娘への芸術的「ギフテッド」。この人の文才はお母さんの魔法で生まれたのかなと思ってしまった。

Wednesday, July 13

『方言萌え!?』


いつの日か関西弁が関西語になったら怖い国家の悪夢


『方言萌え!?』(田中ゆかり著)を読んで。

『関西弁入門』という本がある。言語としての「関西弁」を学習する入門書なのだが、これが「関西語」となるとちょっと怖い。

ある言葉がひとつの言語だと考えるときどうしても「国家意識」とリンクしてしまう。

かつて頼朝が「東国」を意識したときに、同時に自分たちの言語(京都人から忌避されていた)も意識したにちがいない。

旧ドイツのように、何らかの政治的に力学によって東と西が分かれたとき、急速に両者は別の文化を進展させていくだろう。

その時には「関西弁」は、「関西語」あるいは「上方語」となって別の言語の道をたどるのではないか(たとえば、セルビア語とクロアチア語のように)。

本書はまったくそういった本ではないが、「方言」があくまで日本語の多様性の一部として理解され、楽しまれている現代は幸せだと思った。

Friday, February 25

「ドライブ・マイ・カー」


いつの日か死にたい辛いと思ったらソーニャの手話を思い出そうか



「ドライブ・マイ・カー」を読んで。

映画の「ドライブ・マイ・カー」を観て、小説を読み返してみた。原作とはずいぶん違った作品にメタモルフォーゼされていたが、どちらも嫌いではない。

小説では主人公の家福がワーニャ伯父さんなら、ドライバーのみさきがソーニャだ。彼女の言葉には癒やしの力がある。

しかし映画ではむしろ芝居の中でソーニャ役を演じる韓国人女性の手話の方に言葉以上の説得力を感じた。なぜだろうか。

「ドライブ・マイ・カー」は、短編集『女のいない男たち』に収録されているが、短編集を貫くテーマがこの題名ということになる。

「女のいない男たち」とは、「女に去られた(そしてその不在に苦しむ)男たち」という意味だろう。

小説と映画では妻との関係は微妙に異なるが、家福は妻が他の男性と性的関係を持っていることを知っていて、それを妻に問いただせないままに妻に先立たれてしまう。

二人の間は夫婦として満ち足りたものだったはずなのに、なぜ妻は他の男(しかも自分よりも魅力がないと思われる)と性的関係を重ねていたのか、どうしても家福は理解できず、妻の死後もずっと苦しみ続けている。

小説のみさきは、家福を慰めるようにこう言う。

「そういうのって、病みたいなものなんです、家福さん。考えたってどうなるものではありません。・・・
こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」

※芝居でソーニャがワーニャ伯父さんを慰める言葉はこちら↓

Wednesday, February 16

アオキ


冬芽からもうすぐ花芽も葉芽も出る、病のアオキにその日はありや


公園の植込みのアオキ。どうやら炭そ病にかかっているらしい。もしそうなら伝染病が広がらないように刈り取られるだろう。植木屋の車が近くに停まっていたので、あるいはその処置かもしれない。痛々しい。

Friday, February 11

ロウバイ


蝋梅の花も終わりが近くその香りで心鎮めた日あり


散歩道のロウバイの花。盛りがすぎてしまったが相変わらずよい香りを発している。先月別の場所でその香りに慰められたことを思い出した。そちらはソシンロウバイだったが、こちらは花芯に赤みがあるのでマンゲツロウバイらしい。いずれも包み込むような優しい香りがする。

Monday, January 31

沈丁花のつぼみ


たくさんの赤紫のつぼみたち沈丁花の花開く日は近い

だんだんと日が長くなってきた。ふと見ると植え込みに赤紫のジンチョウゲの蕾がたくさん見える。春はそこまで来ている。

Friday, October 29

あきのひの


あきのひのしみんのうゑんふとみるとほとけのざのはないまごろさくか

秋の日の市民農園ふと見るとホトケノザの花今ごろ咲くか

近所の市民農園。いろいろな野菜が植えられている。周囲の道草の中にホトケノザの花が咲いていたが、春の花ではなかったか。


すこつぷのやうなはをみておもひだすこんなのきばにさくそばのはな

スコップのやうな葉を見て思ひ出すこんな軒端に咲くソバの花

近所の古い家の軒端。白い花が咲いているので近寄って見るとどこかで見た白い花。葉の形を見てやっとソバの花だと気づいた。

Saturday, September 4

たいりんの


たいりんのひまはりかうべをおもくたれふたたびひのめをみることありや

大輪の向日葵頭を重く垂れ再び日のめを見ることありや

大きな頭のヒマワリの花。盛夏にはしっかりと太陽をとらえていたのであろう。焼け焦げたように頭を垂れている。


いちやうのみさらにじゆくしてきみまじるいつまでなくやつくつくぼふし

いちやうの実さらに熟して黄みまじるいつまで鳴くやつくつくぼふし

九品仏の浄真寺。大イチョウの木の実が目立つようになってきた。境内にはツクツクボウシが切羽詰まったように鳴いている。