Friday, October 21

クヌギの堅果


どんぐりの散らばる櫟の樹下に来て堅果緑の頃思い出す


よく訪れる緑地公園。クヌギの樹の下にはたくさんのどんぐりが落ちていた。

たしか暑い頃に見た堅果は初々しい緑色だったはず。

目を離すとあっという間に季節は進む。

Wednesday, October 19

『心はこうして創られる』


唯脳が即興的に創り出す物語それが心の正体?


『心はこうして創られる』(ニック・チェイター)を読んで。

「マインド・イズ・フラット」。つまり、私たちの心は深みのある実体ではなく、心は脳による即興的な創作だという。

脳は私たちを欺いて、これが現実だという実感を与え続けている。

私たちは、この脳の働きのお陰で一貫したリアリティの中で生きることができている。


ずいぶん前のことだが、手の感覚を失ったことがあった。

手の触覚がないので、たとえばカバンの中のものを手だけで探せない状態だった。

困ったのはコップやグラスなどを手でつかめないこと。

物理的に握りしめることはできるが、紙コップなら握り潰してしまうし、グラスなら滑って手から落ちてしまう。

仕方なくコップは両手で下からつつみこむようにして持っていた。

ホットコーヒーなどは取っ手を持つと滑ってしまうし、下から持つと熱いので持つのに苦労した。

しばらくして変な感覚が生まれてきた。

それは持っているコップがヌルヌルしているという感覚だ。

もちろんコップは濡れていないし、ヌルヌルもしてもいない。

いくら手の触覚がないだけと思っても感覚的には物のほうがヌルヌルしているのだ。

コップだけでなく手に触れるすべてのものがヌルヌルしている。

つまり、私の脳は手に触覚がないのではなく、周りの世界がヌルヌルしているという幻覚を私に与えたのだ。

ヌルヌルしているから手で持とうとすると滑ってしまうという帳尻合わせだろう。

私がいくらそのヌルヌルは間違っていると理性的に考えても、そのヌルヌル感を正すことはできなかった。

幸い手の感覚は戻ってきて、そのヌルヌルは消えてしまった。

こんな奇妙な体験があるので、この著者の主張は、間違っていないように感じてしまう。


Monday, October 17

草木屋敷


草木に呑み込まれているこの家もいつかは消えて更地に変わる


暗渠沿いの「草木屋敷」。覆い尽くしているのはムクゲ。

柵からはみ出ているのはオシロイバナ。

大いなる眠り。

Sunday, October 16

イヌマキの実


もう誰も手入れする人いないのか空家のイヌマキ虚しく実る


空家らしい家の生垣。様々の樹木が茂り放題に茂っていた。

その中にイヌマキの木があったので探して見るときれいな実があった。

緑が種子で赤いのは偽果で、鳥が種子と一緒に食べるという。

ここの木々は、この空家に手が入るまでの命かもしれない。

Saturday, October 15

シュウメイギクの花


花びらに見えて花びらを欠く花秋明菊は萼片の花


一見花弁に見えるものは萼片で、シュウメイギクには花弁はない。

真ん中の黄色が雄しべ、真ん中が雌しべ。

その周りに見えない花びらがあるかのようだ。

Friday, October 14

ウバメガシの実


公園のトイレの横でキョロキョロと気になるものはウバメガシの実


いつも立ち寄る緑地公園。公衆トイレの横に気になるどんぐりの実を発見。

ウバメガシの堅果らしい。場所柄、急いで写真を撮って引き上げた。

不審者に思われなかったか…。

Thursday, October 13

モッコクの実


宮様も将軍様もご覧になったかもしれない木斛の実を


浜離宮の入口付近のモッコクの植え込み。赤い実がついていた。

かつて皇族や殿様たちがこの前を通ったこともあっただろう。

モッコクは庭木の王だという。