Saturday, May 7

ハハコグサ


黄色い花子どもに見えるハハコグサ かつて日本も子だくさんの国

道端で咲くハハコグサの花。名前のイメージで見てしまう。黄色い小花が子どもたち。

子どもたちがひしめいていた時代が懐かしい。

Friday, May 6

テイカカズラ


道を行く人も垣根に立ち止まる テイカカズラの花咲く頃に

職場へ向かう道。のんびり植物を見ながら歩くのが楽しみ。いつもなら通り過ぎる垣根。白い花が咲いているので立ち止まって見るとテイカカズラの花が咲いている。

花が咲いてその植物が分かるのはこの時期だけの眼福。

Thursday, May 5

カクレミノ


ギザギザで尖っているのは幼さの印だというカクレミノの葉

カクレミノの葉。割れて尖っているものと丸くなっているものがある。

成長すると割れてくるのかと思っていたが、調べてみると逆だった。

尖っているのは幼い印らしい。人間みたい。

小田急線の新宿駅あたりの踏切で。

Wednesday, May 4

『歴史のIF(もしも)』


人生にIFがあればと思うときIFの自分はもうそこいる

『歴史のIF(もしも)』(本郷和人著)を読んで。

「歴史のIF」は禁じ手だが、歴史学者があえて考察したのが本書。

たとえば、石橋山の戦いで頼朝が殺されていたら歴史はどうなるか、といった具合。

歴史の場合は、「システムの力」のようなものが働いて、中心となる人物が死んでもその代わりの人物が現れてくるということらしい。

頼朝がいなくなっても「ニア頼朝」が現れると。

では、個人の人生はどうだろうか?

思うに、頼朝がいなくても「ニア頼朝」が現れるように、私がいなくても「ニア私」がいるのではないか。

私に似た私が私のポジションを占めている。何だか聞いたような話だなあと思ったら『残月記』にそんな話があった。

Tuesday, May 3

『28言語で読む星の王子さま』


見ると聞くとでは違うと言うけれど言語は見るより聞くのが近い


久しぶりにも『28言語で読む星の王子さま』を読んだ。

といってもすべての言語ではなく、比較的知っている言語だけだが。

文字面だけ見ていてもその言語を知ったことにはならない。

読めること、聞いて理解できること、そして言葉や文字で表現できること。

ある言語を知るとは奥が深いことだが、「見る」と「聞く」に限って言えば、やはり後者が「知る」に近いと思う。

ということで、目で見るだけではなく、できるだけ声に出して読んでみた。

自分の好みで言えば、イタリア語が一番好きかもしれない。

イタリア語で、"Il Piccolo Principe"を読んでみようか。

Monday, May 2

シロツメクサ


葉の数を数える暇なくクローバーいまさら四葉を見つけてどうなる?

シロツメクサ。いわゆる四葉のクローバーがないかと昔はよく探したものだが、いまはそんのことも忘れている。

童心に返って探してみるのも悪くないかも。ただ見つけたら引き抜きたくなるが、それはそれで抵抗感がある。

とるのは写真だけ?

Sunday, May 1

『北条氏の時代』


陰謀論あるわけないと言う人が身近な陰謀には与する

『北条氏の時代』(本郷和人著)を読んで。

本書を読むと北条氏の創成期のリーダーの一人義時は卓越した陰謀家だったことが分かる。

著者が書いているように、「陰謀力」も「実力」のひとつの要素。リーダーの力の源泉の一つだ。

「鎌倉殿の13人」を観ているが、だんだんとドラマが陰謀まみれになってきて面白い。陰謀の一つもこなせない武士のリーダーなどありえない。

小栗旬の義時もどんどん陰謀に手を汚して大泉洋の頼朝に負けないぐらいの汚れたリーダーを演じてほしいものだ。

鎌倉時代は、いわば陰謀だらけの時代。そして陰謀の本家本元が北条氏だったということもできる。

どの時代にも「陰謀」はあるが、「陰謀論」は単なる物語にすぎない?

力の争いがあるところに陰謀あり。