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Friday, March 17

シキミの花


ふと見ると人家の生垣にシキミ咲く気づかぬままに幾年月か


あちこちに花が咲き出している。ふらふらと花を見ながら近所を歩いていたら人家の生垣に白い花が咲いていた。

まさかと近寄って見るとシキミの花。

墓地などではよく見るのだが、ふつうの家の生垣になっているとは…。

その実は猛毒だというが、どうするのだろうか?

過去の写真だが、形がけっこう禍々しい。食べたら怖いぞ!と主張しているかのようだ。

Wednesday, August 31

ムラサキシキブ


根元から先へと色づくものなのかムラサキシキブの実に今日気づく


暑さも和らぎつつある午後。いつもの緑道沿いにムラサキシキブの実が色づいているのに気づいた。

バラバラでも一斉でもなく、方向性をもって色づいていくらしい。

残念ながらゆっくりと観察する時間がない。

Friday, July 29

ハイビスカス


一昨日は気づかず通って緑道の人家に今日はハイビスカス咲く


いつも通る緑道の脇の人家。真っ赤なハイビスカスの花が咲いている。

一昨日は咲いていなかったように思うが、見過ごしたのであろうか。

盛夏にふさわしい花。

Thursday, June 23

シャラノキ


足元の落花にシャラノキの花を見つけて鴎外など思い出す


いつもの緑地公園。ぶらぶらの草木観察していたら足もとに白い花々。

ひょっとしてと見上げたらシャラノキだった。これまたどうして今まで気づかなかったのかと思う。

シャラノキと言えば森鷗外。鷗外図書のシャラノキ(沙羅の木)はまだ健在だろうか。

Friday, April 29

『物語 ウクライナの歴史』


人も国も物語られて自らの使命に気づき苦難を生きる


『物語 ウクライナの歴史』(黒川祐次著)を読んで。(以下敬称略)

本書を読むとプーチンもゼレンスキーもそれぞれのロシアとウクライナの「物語」を背負って対峙していることが分かる。

かつてウクライナの地に繁栄した「キエフ・ルーシ公国」の正統な後継者はロシアだとロシア帝国時代もソ連時代も言われてきた。

歴史上たび重なるウクライナの地での独立運動はすべてロシアを始めとする近隣の大勢力の力で封じられてきた。

ソ連が崩壊したときにやっとウクライナは独立を手に入れた。かつて「ヨーロッパの義父」とまで言われていた「キエフ・ルーシ公国」。その伝統からすればウクライナの人々の目は自然と西のヨーロッパに向く。

その「ウクライナ人の物語」を絶対に認めないのが、プーチンを始めとする「ロシア人の物語」だろう。

単なる地政学的な対立ではなく、「大きな物語」の結末をかけた戦いが、深いところで行われているように見える。

ところで、ゼレンスキーはユダヤ人で、もともとウクライナ東部の出身で、母語はロシア語だという。

ウクライナ人・ユダヤ人・ロシア人の関係も一筋縄でいかない「物語」があるはずだ。

我々日本人には読みきれない「物語」。

Friday, March 4

唐突に

とうとつにおどろかされてきづいたらであったあとですべてがちがう

唐突に驚かされて気づいたら出合った後ですべてが違う

何か思いがけない激変に見舞われたとき、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を思い出す。私たちは、激変との「出合い」を受け止める(キャッチする)ことはできない。ただ出合う(ミートする)だけだ。これがサリンジャーの教えだ。自身が1つの玉だとすれば、気がついたときにはすでに別の玉にぶつかった後で、自分が向かっていた未来の景色はすっかり違ったものになっている。

Sunday, January 2

イイギリの実


鈴なりの赤い実見事なイイギリに昔は気づかず走れた頃は

昔ランニングのコースだった道を歩く。自然公園の中の道だが今日歩いていて赤い実をつけたイイギリを見つけた。走っていた頃は、それはただの木にしか見えなかったのだろう。走れなくなって気づく風景。

Sunday, September 12

つねならば


つねならばかをりよりしるきんもくせいことしははなのいろにぞきづく

つねならば香りより知る金木犀今年は花の色にぞ気づく

キンモクセイの強い匂いは苦手だ。まるで大勢で自分の存在を主張しているように感じる。今年はどうも開花が早いようだ。