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Tuesday, February 21

『黒百合』


少年の少女に挿頭せし白百合は見えぬが故に今なほ白し


『黒百合』(多重斗志之)を読んで。

ミステリー文芸というべき作品。

14歳の3人の少年少女(一彦、進、香)が避暑地六甲山で過ごしたひと夏の体験が中心的なストーリー。

それに彼らの親たちの物語が重なって最後にひとつのミステリーに収斂していくという展開。

ストーリーは割愛するが、ミステリーとして見たときに、最後の種明かしで明らかになった相田真千子と倉沢日登美の関係など、ツジツマ合わせ的な不自然さが残る。

2人はお互いを認識しているはずだが過去は精算して何事もなく暮らしているのだろうか?

また真千子の「性癖」や行動様式は戦後激変したのであろうか?

いずれもなんらかの説明がほしいところ(ヒントのようなものを私が見落としているだけかもしれないが)。

それ以外にも貴代司の脅迫と殺人などちょっとご都合主義的すぎるのではないか。それならば「おばさん」の仮面をかぶった真千子の凄みにも触れるべきでは?

むしろ最後の殺人はなしにして真千子のキャラ変と見える変化の「真相」を最後に謎解きするような展開もあったのでは?

浅木と真千子に「君の名は」のような波乱万丈があったと匂わせるという終わり方もあったのでは?

いろいろと難癖をつけているようで恐縮だが、読者が書かれていない物語を空想してはどうかということかもしれない。

いずれにしても余韻の残るすぐれた作品であることは確か。

今更ながらだが、著者の失踪は残念でならない。

Wednesday, March 30

ソメイヨシノ


街道をゆく人見上げし桜の木いまは車の出入りの障り


旧甲州街道沿い。マンションの駐車場に立つ桜の古木。ここまでするかというぐらいの掲示。これでは愛でる人もいないだろう。桜も見てもらった方がうれしいのではないか。

Tuesday, March 29

ソメイヨシノ


夜桜の下に座って見上げてる老女の時間今どのあたり?


駅前の桜並木。帰路を急ぐ人たち。その中で樹下の石のベンチに座って桜を見上げている高齢の女性がいる。いつの桜を思い出しているのだろうか。

様々のこと思い出す桜かな

この伝統的フレームから逃れるのは難しい。

Saturday, March 19

「ナイフを失われた思い出の中に」


戦争の「ごろつき」どもは正義の名でやりたいほうだい昔も今も


「ナイフを失われた思い出の中に」を読んで。『真実の10メートル手前』の中の連作短編の1つ。

大刀洗万智を訪ねて一人の外国人が日本にやって来る。彼の名前は、ヨヴァノヴィチ、『さよなら妖精』のユーゴスラヴィア人・マーヤの兄である。
 
正しくは、彼は商用で来日するのだが、妹が敬愛していた万智に会うためにわざわざとある地方都市までやって来たのだ。

そこで彼らはある殺人事件に向き合いながら、同時にお互いの辛い過去と生の人間性に向き合うことになる。

ユーゴスラヴィア問題は、『さよなら妖精』では悲劇性を実現するための1つの題材に過ぎないという印象を持ったのだが、そうではないことを作者なりに誠実に示したのがこの作品だったと私は受け取った。

おそらく複雑な歴史を作者なりに整理した結果が、ヨヴァノヴィチの「3人のごろつきどもの縄張り争い」発言だったのであろう。

そして、「1人のごろつき」だけを罰した西側の「公平な報道」に対して根深い不信感と怒りを持ち続けていたヨヴァノヴィチの心を解きほぐしたのが、高校生の時から変わらぬ大刀洗万智の生き方の流儀だった。
 
たとえそれがティーンエージャーの理想だと笑われても、彼女はひとり「純真な者や正直な者、優しい者」が救われる報道を目指す。

これは、他の短編でも共通する特質であり、『王とサーカス』にも引き継がれる青春性の持つ美質である。

戦争には有象無象のごろつきが参集するものだが、今のウクライナの戦争はどうだろうか。「ごろつき」は、はたして1人だけなのだろうか?

そして、その一見「公平な報道」は本当に公平な報道なのだろうか?

Wednesday, March 9

『羊は安らかに草を食み』


難民は今もどこかを歩みたりかつて我らも満洲逐わる


『羊は安らかに草を食み』(宇佐美まこと著)を読んで。
満洲から命からがら逃げ延びた日本人たちの壮絶な逃避行を描いている。

80年近く前のことだが、その野蛮や残酷を体験し記憶している人もいる。

本書は、認知症にかかった老女の旅を通してその苛酷な現実を追体験する物語だ。

地獄のような死地で苦しんだ人々の中に、もしも自分がいたとしたらどうだろうか。

逃げる自分か、襲われる自分か、殺される自分か、殺す自分か、あるいは奪う自分か。

Saturday, February 19

『独ソ戦』


戦争の顔はおそらく女でも男でもない顔のない顔


『独ソ戦』(大木毅著)を読んで。

戦争について書かれた本を読むとしばらく何とも言えない感情にとらわれる。それは怖れかもしれないし、怒りかもしれない。

この本は、独ソ戦がスラヴ人の絶滅を目指す「絶滅戦争」であったと説く。80年前の人たちがそんな「野蛮」を信じていたことに愕然とするが、今当たり前のように語られる「多様性」の議論もつい最近の潮流だと気づかされる。

戦争も恐ろしいが、それよりもその根っこにある思想が怖い。人間の恐ろしさは「正義」の恐ろしさ。

Thursday, November 11

かぜつよく


かぜつよくやまなみしかとみゆるごごこぞのいまごろふじみたりしか

風強く山並みしかと見ゆる午後去年の今ごろ富士見たりしか

空気が乾燥して山並みがはっきりと見えるようになってきた。去年の勤め先は富士山がよく見える立地だったが、今ごろはもう見ていたのだろうか。